日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

舞台の音の話

韓国観劇ツアーから戻ってきた友人から、「やっぱり海外物ミュージカルの役者さんは、日本と違って音を外さないね」という話を聞きまして。いや、そんなことはないぞ、音を全く外さないわけではないけれど、音の外し率低い演目はあるよ、と言う話になりました。
私は『スーザンを探して』ではあまり外してなかった、と答えたのですが、今振り返ると、ブロンディの曲の全部を知ってるわけじゃないけど*1、何人か音が怪しい人もいたような(^_^;)。
一方、そう言えば四季の演目はあまり音外さないね、という友人の発言があり、それには大いに納得。

そんな風に舞台の音、そして役者さんの歌唱力に関係したやり取りをしていて唐突に思い出したのは、2007年のレミゼで「マイクの音量が小さい」という観客からのクレームがあり、それに対してスタッフが公式ブログで「生声を生かした音響調整になっているためです」とコメントしていた件。
レミゼの歌声の音響効果は耳に優しくて私は割と好きです。しかし、確か2005年頃のレミゼを観劇されての感想だったと思いますが、「山口さんは声量がない」と言い切ってる音楽家さんのブログもどこかで見てしまいました。海外物のキャストと技量を比較されてダメを出されるのはもう諦めてますけど、寄りによって音響に引き摺られて声量の有無を聞き誤るなんて!とがっかりしたものです。

相変わらずオーディオの知識がなくて申し訳ないんですが、生の音に最小限の増幅しか施されない舞台において音を劇場に響かせるには男声の重低音、あるいは女声の高音が有利で、男声の高音は不利なんじゃないかと思ったりしています。つまりレミゼで言えば、バルジャンの歌よりジャベールの歌、バルジャンの歌よりコゼットやエポニーヌの歌の方が有利なのではないかと。
でも、その辺をバランス良く聴かせるのが音響さんの腕の見せ所なのにねえ、とも思うのです。変にエコーを効かせすぎるのも勘弁して欲しいけれど、逆に素材を加工しなさ過ぎるのもどうなんだろう?と考えてみたりして。メイクアップの世界で、所謂「ナチュラルメイク」と「薄化粧」は異なるもので、前者の方がとても手がかかるものらしいと聞いたことがありますが、音響にもそれと同じことが言えるのではないでしょうか?まあ、所詮オーディオの知識ゼロの素人考えに過ぎませんが。

まあ、オチとしては、例えば山口さんが音外そうが声が響かなかろうが、演技に遊びを入れようがぶんぶんダンスをしようが(笑)、それで「好き」に何の影響が及ぶわけでもないですし、また、音外していても好きな物は許せて、そうでないものは許せないものだ、という所に行き着くわけですけれど。
大体、自分、レミゼの2003年版CDの吉野アンジョルラスの歌が好きという時点で、既にミュージカルにおける音外しを許容できていて、かつ優先順位は低いんだと思うのです(暴言)。ちなみに吉野アンジョルラスの低音の妙な艶っぽい響きが大好きです。あと、現在の吉野さんの歌は遙かにお上手だと思います。
でも、レミゼでは未見ながら、声が出ないと評判の某マリウスの歌を許せるかどうかには自信がないので、そこは単に好き嫌いが激しいか心が狭いかのどちらかなのでしょう、きっと。

もちろん、だから歌い手たる役者も音響スタッフも完璧を目指さなくて良い、と思っているわけではありませんので、どうか誤解なきように願います。

*1:『スーザン〜』はブロンディの曲で構成されるジュークボックス・ミュージカルです。