つい最近、
「日本の『レ・ミゼラブル』で山口祐一郎さんが人気はあるけど『彼を帰して』を原キーで歌えないからがっかりだ」
という発言を、とある国内外でミュージカルやオペラを見続けて40年以上という方のブログで見かけました。
最初読んだ時は何だとー!と思ったのですが、そう言えばあの曲を原キーで歌えるのって少なくとも日本の現在のバルジャン役者では今井清隆さんだけだという話を聞いたことがあります。
私自身はどうしようもない音痴なので、人によってキーが違っていてもあまり気にならない、というか、違っていても気づかず(笑)、どちらかと言えばメロディを思い切り外されるとか声量が無さ過ぎる方が腹が立つのですが、実はこの問題って、ちゃんとした耳を持った人に取ってはすごく重要なんじゃないかと思い始めました。
ふと、海外のミュージカルでキャストに選ばれる場合って、やっぱりその演目の曲を原キーで歌えるかどうかが重要なの?という疑問が湧きました。
じゃあ、山口さんってただ原キーで歌えないというだけで下のレベルに置かれてしまうの?でも日本のレミゼのオーディションを通った上でバルジャンを演じているということは、日本のオーディションってかなり点が甘い?と。
これについて、私よりは耳が良かったり舞台のことに詳しかったりする友人達にも意見を求めてみました。彼女達の意見および提供してくれた情報をはしょりつつまとめると大体次のとおり。
- 『エリザベート』のウィーン版でもキャストによってキーが違っていたりする。役者の都合ではなく演出上の都合かも知れないが海外の人が皆原キーで歌っているわけではない。
- と言っても、役をもらった以上は、そのキーを出せるのは基本。
- 例えばオペラの世界には「アルトしか出せない」ような音域の狭い人はいない。訓練で音域を広げられないような歌手は所詮そこまでのレベル。
- 日本のミュージカル演出においては、原キーの保持は重要ではあるけれど、それ以外の要素も重要であるし、そもそも舞台は生き物で、舞台稽古中の流れや観客の反応なども見て改変可能なものなので、原キーは絶対値にはならない。役者がこの台詞(音)は出せない、と言ったら調整するもしないも制作側の能力の一つ。
- 歌以外の要素を重視することがプラスに働く場合もあるので、一概に悪いとは言えない。
- 出来た物を持ってくる、しかも編曲や演出の自由度は契約次第な翻訳物ミュージカルと、日本オリジナルのミュージカルとでは土俵が違うので、同じ条件では論じられない。
- 歌の表現の幅を広げるためにも、音域は広い方が良いに越したことはない。
- 草創期(1960年代)の東宝ミュージカルでスターを主演に持ってきて、原キーを下げて歌わせたという話を今なお、音域を大事にしないけしからん事例として挙げる専門家も存在する。
- 声が出なくても役者欲しさに受け入れてしまう東宝のスター主義が問題あり。
- そもそも何をもって「原キー」と言うかによって解釈が違ってくる。「舞台を最も完成させる歌のキー」という考え方だってある。
ということで、
「原キーで歌えるかどうかは唯一無二の条件ではないものの、やはり重要な要素である」
というのがシンプルな結論ということになるようです。
最後の、
「そもそも『原キー』って何?」
っていう点については、私自身は漠然と、
「作曲者のオリジナルスコアで指定されてたキー」
と考えていました。ただ、大事なのは舞台を完成させる曲=舞台の肝になってる曲をいかにちゃんと歌うか?ということであるというのには同感です。で、レミゼで「彼を帰して」はその肝になってる曲だと思うのですが、少なくともロンドン・オリジナル・キャストが原曲どおり歌えているその曲を、キーを下げないと歌えないというところに山口さんの30年近くの努力の限界があって、そういう基準の下ではレベルが低いと言われても仕方がないのでしょう。
と、山口さん個人の話ばかりになってしまいましたが、日本のミュージカルそのものについて、最近海外ものの音源も色々聴いてみて、確かに海外とは底力(人材層の厚さとか色々)が違うぞ、と思ってしまったのも事実です。
ただ、そうだとしても、私が山口バルジャンの「彼帰」で感動したあの気持ちはニセモノだとは思えない(思いたくない)のです。多分、あの感動は原曲どおり歌えるという要素ではなくて、それ以外の要素――声質や歌唱技術や演技(そこ、笑うな!*1)――の相乗効果によるものなのだと思います。
個人的な心情を抜きにしても、音域のレベルだけで役者を断じることは実際のところ出来ないと考えるに、現時点では至っています。
また、興行側としては、観客動員力があるスターに対して、現在低いキーでも真っ当に歌えている以上、あえてそれを越える無茶を強いるようなことはしないであろう、というスター主義*2の背景を踏まえて、
「日本のミュージカルでトップ人気の人がそのレベルでは……」
という見方が出てくるのでしょう。しかしだからこそ、トップの立場にある方は限界を越えるための努力は怠らないでいる筈、とファンの欲目で見ていますし、また、実際にそういう努力は是非続けていただきたいと期待しています。この期待は、プリンシパル、アンサンブルの別を問わず、他の日本の役者さん達に対しても同様です。そして、役者を養成する側においても。頼みますよ!と思わずにはいられません。