日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』感想(2019.11.9 13:00開演)

キャスト:
クロロック伯爵=山口祐一郎 アルフレート=東啓介 サラ=神田沙也加 アブロンシウス教授=石川禅 ヘルベルト=植原卓也 シャガール=コング桑田 レベッカ阿知波悟美 マグダ=大塚千弘 クコール=駒田一  ヴァンパイア・ダンサー=森山開次

今期2回目のTdV観劇に行ってまいりました。

ちなみに当日、有楽町駅から帝劇までの道沿いに警察車両が多数並んでいたので「あれ? 即位祝賀パレードは明日だったよね? 前日からこんなに警備してるなんて大変!」と思いながら通り過ぎたのですが、それが国民祭典の警備だったことは夜帰宅してから知りました😅。そもそも国民祭典が9日に開催されることすら知らず、そう言えばそんなイベントもあったっけ、な体たらくで。いや、今週本業が超多忙でしたもので(完全に言い訳)。

閑話休題TdV、アルフレート以外は初日と同キャストでの観劇でした。

東くんは他の舞台も含めて全くの初見でした。この舞台では当該公演のアルフが毎回開演前の諸注意アナウンスを務めますが、東アルフ、その語り口が、声は渋い低音で格好良いものの、あまりにも真面目過ぎてツッコミ所も愛敬も皆無。なので、心の中でチコちゃん風に「つまんねーヤツだなー」と呟いていましたが……。

ごめんなさい。東アルフ、声量たっぷりで張りのある歌声で、しかも演技の間合いも絶妙でおバカキャラを作り込んでいて、予想以上に良かったです。

あと、東アルフ、とにかく背が高い! 公称187cm。186cmの伯爵と対面した時に顔が真正面にあるアルフは初めてだと思います。

あんなに背が高かったら2幕の霊廟で教授が立ち往生した時に手が届いて救出できてしまうのでは? と心配していましたが、そこはなんと、

「教授が『優秀な助手アルフレートよ、助けてください』と言ってくれたら助けます!」

とか何とか理屈をこねて助けに行かず、当然教授もそんな条件を飲むわけがないので、結局「ひとりでやれ!」と命じられるという展開になっていました。

また、身長差30cm以上の東アルフと沙也加サラ。ラストのあれ、どうするのかな?と思ってたら、沙也加サラがジャンプして飛びついてガブッと行っていました。身長差萌えの人にはたまらない場面だったのではないでしょうか。

東アルフ、ソロの「サラ」も表情豊かに歌い上げており、とても初帝劇とは思えないほど好演していました。将来が期待できそうな若手の1人だと思います。

以下、心に引っかかった箇所をストーリー順に。

1幕、アルフとサラのデュエット「初めてだから」の時の夜這いシーンでのマグダ。4演目までの彼女は気分じゃないけど渋々、な感じでしたが、今期の千弘マグダは「んもー、しょうがないわねぇ」みたいな感じに見えました。何だかんだでシャガールを結構憎からず思っているらしき、可愛らしいマグダなのです。

そして翌朝の場面で、教授だけでなくシャガールも頭のてっぺんに絆創膏を貼ってたことに今期2回目観劇にして初めて気づいたという😅。教授の頭の絆創膏はアルフもしくは教授自身が貼ったのだとずっと思っていましたが、前夜に教授が殴られた後、部屋から出てきたマグダが教授の傷を覗き込むような仕草をしていたので、今回はもしかしたらマグダが貼ったのかも? と思っています。

伯爵のお風呂場侵入。家が割れて、立ち去った後には何事もなかったように元に戻っていますが、相変わらずどうやって入ったのか分からない所が素敵。伯爵ボイスの甘い囁きと力強い牽引との呼吸は今回も迫力満点、サラが手もなく籠絡されるには十分すぎました。

サラの出奔前の妄想ダンス。開次影伯爵、失礼ながら実はそんなに身体が柔らかくないと思うのですが、やはり彼のダンスの疾走感と闇のエネルギーには引き込まれます。

伯爵城入城場面。伯爵を挑発するように名刺をプルプルさせる教授から、今回も伯爵は元気に名刺をもぎ取っていました。

1幕終盤クライマックスの伯爵がアルフを教え諭す(たらしこむとも言う)場面。時に父親のような人生の大先輩、時に悪徳へと誘う者、時に真理へと導く伝道師、という感じでころころ変わる豊かな表情、そしてロングトーンを、「驚異的だ……」とM!のコロレド猊下のごとく堪能していました。

幕間のお楽しみ、クコール劇場。客席の掛け声に軽妙に答えつつ職務に励むクコールさんのお掃除道具が従来のうちわからモップに変わったのを見て「これも、流行りの働き方改革?」と考えていました。ちなみに今回のクコールさんはおもむろにマントを脱ぎ床に置いたと思ったら、マントの中から靴を出現させていました。一見やっつけ仕事っぽく見せかけてさり気なく小さな驚きを見せてくれるのが良いですね。

2幕序盤。沙也加サラ、鼻にかかった甘え声で歌うのが可愛いなあ、でも芯には骨太なものが見える神田沙也加という役者さんとしては、いつまでこのカワイイ小娘路線でやっていくのかなあ、と大きなお世話なことを考えつつ、伯爵が現れるとすっかりそちらに頭が切り替わっておりました。

「夜を感じろ」。よく見ると夢アルフは最後に果敢に影伯爵に立ち向かってはいるものの、決着が着く前に夜明け、と申しますか恐らくはアルフが手にする十字架に象徴される信仰に助けられていて、決してアルフ自身が勝ったわけではないのですね。

教授を知識欲という名の沼に引きずり込む図書室の場面。今回のセット変更については大体いい感じだと思っているのですが、図書室だけは若干不満があります。もちろん何百年も生きている伯爵のお城なら背表紙の茶色い古びた本ばかりで当然ですし、4演目の時のように大型本を踏み台代わりにしなくなったのは良いのですが、もう少し教授が本務を忘れて没頭するだけの説得力のある棚作りをしていただきたかったです。個人的には「大型本が踏み台に!」の問題はあったものの、前回公演までの、教授の言葉通り哲学書からパンフレット類までの幅広い蔵書構成であることが一目見ただけで察せられる書架が結構好きでした。

植原ヘルベルト。ビジュアルが初演寄りなのでどうしても比べられがちのようですが、もっと彼の色ではっちゃけてもらって大丈夫だと思います。東アルフと禅教授がいい感じに受けて楽しいドタバタになっていました。

お城の階上での伯爵登場。あれ、伯爵に紗がかかっていますが、一体どこにいるんでしょうね。もしかしてイメージビジョン投影? 伯爵ボイス全方位攻撃は、2階の方がスピーカーが近くて迫力があったと感じました(今回は1階前方下手サブセンにて鑑賞)。

「抑えがたき欲望」。今回もショーストップが起きていた伯爵と影伯爵の好演もあって、伯爵に籠絡されるサラや、ぎりぎり踏みとどまりながら揺らいでいたアルフの気持ちが、今回はとてもよくわかる気がしました。

墓場に眠るヒラのヴァンパイア達は人間に対しひたすら恨みを抱き下剋上を望んでいるイメージでしたが、伯爵は人間を欲望を満たす獲物として眺め下ろし支配を狙うと同時に人間を憐れみ愛おしんでいるという印象を強く受けました。しかもこの大ボス、人たらしときています。本当に一筋縄ではいかないお方です。だからこそ、敵方である教授は「くだらん!」と一蹴せざるを得ないのでしょう。

舞踏会。センターで堂々と熱唱しながらの伯爵の入場から、クライマックスに至るまでの一連のシーンはいつも目を離さず観てしまうわけでして。何度観ても、あの華やかでサスペンスなシーンがいつも崩れず、ぶれずに展開するのは凄いことだと思っています。

カーテンコールは、スペシャルの日ではないから普通の手拍子で終わるのかな? と思っていたら、しっかりヘルベルトの振付講座付きで客席参加になっていました。すぐ前の席にかなりご年輩の男性(おじいちゃん)がいらして、ヘルベルトの客席スタンディングコールに従い立っていたのでちょっと心配でしたが、しっかり振付をこなしていたのでほっとしました。むしろ私自身の方が振付が怪しい……。

と言うわけで、今回はめちゃめちゃ楽しむことができました。次回のTdV観劇はもう少し先になりますので、それまで桜井サラはしばらくお預けです。その前に『ビッグ・フィッシュ』クリエ版を見届ける予定です。

 

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』帝劇初日感想(2019.11.5 18:00開演)

キャスト:
クロロック伯爵=山口祐一郎 アルフレート=相葉裕樹 サラ=神田沙也加 アブロンシウス教授=石川禅 ヘルベルト=植原卓也 シャガール=コング桑田 レベッカ阿知波悟美 マグダ=大塚千弘 クコール=駒田一  ヴァンパイア・ダンサー=森山開次

2019年版『ダンス・オブ・ヴァンパイア』(以下「TdV」)の帝国劇城(TdVの場合はやはり「劇場」ではなくこの字ですね)初日を観てまいりました。

以下、Twitterの方にも書いたことの引き写しになりますが、感想です。

初日ということもあってか、キャストの皆様は全体的に手堅い感じで演じていらしたように感じられました。緊張ゆえでしょうか、サラとアルフのデュエット「初めてだから」では終わり近くで2人とも声がやや上ずっていたように聞こえました。

今回は舞台美術が全面的に見直し、とのことで、演出も変えられていました。その代わりダンスの振り付けの追加や大幅な変更はあまりなかったように見受けられます。

舞台美術の変更の例は、前半で主な舞台になるシャガールの宿屋のセット。以前は確か平屋建てだったと思いますが、何と3階建て(あるいはロフト付き2階建て)に変更されました。舞台上に高低差を作る演出は最近の帝劇的トレンドなのでしょうか。

また、1幕の伯爵とサラのお風呂場シーンにも大幅な変更が。私、従来の登場方法を13年前の初演で初めて見た時、辺り憚らず爆笑した覚えがありますが、今回は客席のあちこちで笑いが起きていました。うーん、あれは理屈に合わない……。

他にも教授のオペラ風ソロの場面などいくつか演出変更箇所があるので、劇城に行かれる方はチェックしてみてください。特に教授については4年前の前回公演よりも学究的でストイックなキャラクターになるとのことでしたが、その分演出上で傍若無人ぶり(KYとも言う)が強調されているなど、そこかしこに色づけが加えられています。

以下は役者さんの感想を初役の方を中心に簡単に。

相葉アルフ。現役アンジョルラスということで、お歌は上手くて歌声も力強いです。アルフレートとしては少しだけオツムと人生経験の足りない感じを軽妙に演じていましたが、個人の色が出るのはまだこれから、な感じです。

初代サラ、大塚千弘さんのマグダ。前半が実に小悪魔な感じで可愛らしくて、何ならいつでもサラに復帰してくれて良いのよ、と言いたくなるぐらいでしたが、後半では一変。恐らくサラとの違いを際立たせるためだと推測しますが、何もあそこまでホラーな佇まいにならなくても……。せめてエンディングやカテコでは可愛いマグダに戻って欲しいのになあ、と思いながら見ていました。

植原ヘルベルト。お笑い要素よりもビジュアル系要素の強いヘルちゃんは久しぶりになります。初演の吉野圭吾さんは最早レジェンドなので別格ですが、植原ヘルも見た目をかなり妖艶に作り込んでいて、すらりと美しかったです。

そして。4年ぶりの再会となった山口伯爵!

伯爵は実に華麗でなまめかしく、歌声の張りも抜群でした。13年前の初演時から、再演を重ねるごとに若返り、美しさが増しているようにお見受けします。

また、「抑えがたき欲望」での、森山影伯爵のダンスとのシンクロが、今までになく素晴らしかったと思います。この場面ではもちろん、山口伯爵と森山影伯爵は互いにアクションを交わし合うわけではないので、「息の合った演技」という言い方が適切なのかは分かりませんが、まさに2人が一体となって、クロロック伯爵という異形の者の複雑な内面世界を舞台上に見事に体現していました。

森山影伯爵をはじめとするダンサーズの振り付け等には大きい変更なし、と書きましたが、文字通りヴァンパイアたちのダンスがTdVの世界観の重要な一翼を担っていて、前回公演までの積み重ねでダンスはある程度完成されているのであえていじる必要もない、ということなのかも知れません。

しかし、カーテンコールでの客席用振り付けは、多分毎回見直しが加えられています。事前に公式動画でも拡散された振り付けは今回も、客席側での真似のしやすさと、長時間の観劇で固まった身体を動かすことの心地よさとを両立させたものになっており、存分に楽しむことができました。このために、動画でも使われていた真っ赤なハンカチを手作りして(布地を切って糊で貼っただけですが)持参した甲斐がありました!

次回の観劇は9日昼の予定。サラと影伯爵は今回と一緒で、アルフレートだけが異なります。東さんはほかの演目も含めて全く初見なので楽しみにしています。

初日前から休演者が出ているハードな演目ですが、どうぞカンパニーの皆さまが帝劇千穐楽、そして地方公演を経て1月の大阪大千穐楽まで無事に完走されますよう、お祈り申し上げております。

 

『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』初日感想(2019.8.31 13:00開演)

キャスト:
ヘドウィグ=浦井健治 イツァーク=アヴちゃん(女王蜂)
BAND-THE ANGRY INCH:
Guitar=DURAN Bass=YUTARO Drums=楠瀬タクヤ Guitar=大橋英之 Keyboard=大塚茜

 今回、『HEDWIG AND THE ANGRY INCH』(以下、『HEDWIG』)という演目も、EXシアター六本木というハコも全く初めてでした。ついでに、ライブハウスという空間も、そして客席に普通のミュージカルファンと思しき大人しい客層と、尖ったロックファッションで決めた客層とが混じり合っている状況も初めてでしたので、「ミュージカルプリンス浦井くんの最新主演舞台」といういつもの感じと、普段の自分とは異質なテリトリーに紛れ込んでしまったアウェー感とで微妙にお尻が落ち着かない感触を味わいながら開演時間を迎えました。

……という話はどうでも良いので、以下、感想にまいります。初っ端からラストシーンに言及しますので、未見の方はご注意ください。

 

今回、まるっきり初見のHEDWIGをラストまで見終えて真っ先に抱いた印象は、
「え? もしかして、ヘドウィグの探していた『カタワレ』ってイツァークだった??」
というものでした。

もちろんラストのあれは、「ヘドウィグの不全感、そしてイツァークの抑圧からの解放の結果」と理解しているので、別にあの2人が互いに「カタワレ」だったわけではないと思うのですが、一瞬、「2人が魂の救済と解放により融合し完全体になった?」という印象を受けたのです。そう思わせられるほどにラストシーンのアヴちゃんは実に神々しく美しくありました。

 美しいと言えば浦井ヘドウィグも、舞台に登場した時から妖艶な美人さんでした。どんなに際どい台詞を口にしても露悪的な所がなく、終演後にロック系ファッションの女性客の方が「今まで見てきた中で一番上品なヘドウィグだった」と語る声が聞こえてきました。

私、HEDWIGという演目について、映画も過去の舞台上演も未見ではありましたが、
「性転換手術に失敗し、自らの不完全さに苦しみながら愛を求めてグロテスクに生きるトランスジェンダーの物語」
と最初は思っておりました。ところが浦井くんのヘドウィグにはグロテスク成分は薄めです。ヘドウィグとしてそれがベストなのかは分かりませんが(私的には演者それぞれのヘドウィグがあっていいと思う)、それ故に、 ヘドウィグの最初の結婚について、無論愛情がなかったとは言わないまでも、打算の要素が強かったという面が強く打ち出されていたように感じられました。あの時代に「東側」から「西側」に脱出するというのはかなりハードルが高かった筈ですので。

自由になるために危険な手術にトライした筈なのに逆に新たな傷と呪縛が生まれただけで、しかも愛が彼女の心を満たすことはなく、ひたすらに過去への呪縛と執着を繰り返すばかり。想像するだに恐ろしいです😢。

また、この物語のタイトルロールはヘドウィグなのですが、ヘドウィグという月の光の生み出す影と闇を象徴するような存在であるイツァークも、相当に難しい役だと思います。ヘドウィグと良く似た境遇でありながら、いえ、良く似ているがために理不尽な抑圧を受け、自由のためにそれに耐えざるを得ない鬱屈と矛盾とを抱えた人物。演じるアヴちゃんの、舞台上の全ての闇を支配するかのような昏く鋭い眼差しと、揺れ動く心情を体現するかのように聖なる女声と太い男声とを自在に行き来する激しい歌声とが、強烈なコントラストで心に残像を残しています。

そして、ヘドウィグの想い人であるトミー。彼がいなければ絶対この物語は成立しない癖に、彼女にかなりのむごい仕打ちをもたらした彼の内面については、ぎりぎりまで観客には伝えられないのがとてももどかしいです。

 

HEDWIGという演目については、正直なところあまりきちんと消化できているわけではありません。

ただ、LGBTというマイノリティ、多様性などのカテゴリに位置づけられるコミュニティ、あるいはドラァグクイーンの華やかな装い、そしてロックの激しいリズムに五感を奪われがちですし、また、それらの要素なくしては成立し得ない演目でもありますが、演目に込められたメッセージは極めて普遍的なものとして受け止めました。
人間が心に抱えたまま囚われているコンプレックスや不全感の象徴である「怒りの1インチ」について、
「『怒りの1インチ』なんて関係ない、そんなものを超越して愛しているよ」
と言ってくれる誰かが1人でもいてくれさえすれば、人間の魂は救われ解放されるのに、現実にいざ誰かが「それ」に向き合うとなかなか「関係ない」とは言えないのが人間のもどかしさであり、シビアな現実です。しかし、だからこそ「怒りの1インチ」を乗り越えていく、あるいは受け容れていくことは、無数の1インチの当事者にとっても、そしてそれに向き合う者にとっても恒久的かつ普遍的な人類の課題であると思います。

……ということをHEDWIGという演目からつい大真面目につらつらと考えてしまいました。もっと頭を空っぽにしてヘドウィグに、そしてイツァークに共鳴できれば良いのですが、どうもすぐ考え込んでしまってダメですね。

 

『笑う男』北九州大千穐楽感想(2019.5.26 12:00開演)

キャスト:
ウィンプレン=浦井健治 デア=夢咲ねね ジョシアナ公爵=朝夏まなと デヴィット・ディリー・ムーア卿=宮原浩暢 フェドロ=石川禅 ウルシュス=山口祐一郎 リトル・グウィンプレン=豊島青空

 

 『笑う男』大千穐楽を見届けに、北九州市まで1泊2日で飛んでまいりました。

小倉のソレイユホールはパイプオルガンも設置されている立派な会場で、音響も結構良かったです。

慌ただしい滞在でしたので、観光らしいことは着いた日の夜に少し門司港を見物に行ったのと、翌日開演前に小倉織のお店に出向いたぐらいでしたが、小倉も歴史ある城下町ということで、また改めてゆっくり観光で訪れたいと思います。

なお小倉織のお店があまりにも楽しくて盛り上がってしまったために気づいたら開演時刻が迫っており、ランチを食べ損ねてしまいました。ただ、前日夜更かしもしていたため、満腹だと確実に観劇中に睡魔に襲われていたと思うので、結果的には良かったような気がします。

前置きはこれくらいにして、『笑う男』本編の感想にまいります。

演出は、舞台装置の動きが、例えば日生では物理的に舞台に沈んでいた難破船が沈まずに紗幕でフェイドアウトするなど若干変わっていたところはありましたが、場面のカットや台詞の追加などは多分なかったと思います。この演目、展開の分かりにくさが囁かれていたという印象を受けており、もしかしたらその辺りを変えてくるかも? と考えていましたので、少し意外でしたが、既に初日の時点でいじれるところはいじり尽くしてしまっていた、ということなのかも知れません。

なお私自身は、『笑う男』について裏話の語られた某トークショーの内容をTwitterのフォロワーさんのご厚意で知ることができましたが、まあ、演出家さんも役者さんもかなり手を尽くしていたようで、相当に大変だったのだと思います。

役者さんの感想にまいりますと、まずリトル・グウィンプレン、大千穐楽にしてようやく嵐史くん以外のキャストにお目にかかることができました。青空くんは嵐史くんよりやや儚げなイメージでした。そしてソプラノが綺麗。

ウルシュス座長は1幕の一座公演の場でとにかく拍手を煽る煽る! 変なタイミングで絡んできたデヴィットもいじるいじる! 客席も、ノリノリで拍手しまくっていました。大千穐楽という場の効果もありますが、福岡の皆さまは特にノリが良かったように思います。そんなこんなで満を持して登場する青年グウィンプレンとデア。舞台で演技する2人を明子姉ちゃんのように陰から見守るウルシュスの表情が、心配しつつも誇らしげで良いのです。

1幕の一座公演の場面ではグウィンプレンとデヴィットの激しい殺陣があります。2幕でもグウィンプレンとの殺陣をこなす宮原さんは、殺陣を浦井くんに教わったとカーテンコールのご挨拶で語られていましたが、実際、元々は歌の人なのにかなり頑張ったなあ、と思いました。

ところでこの一座公演のグウィンプレンとデアの歌と台詞、多分天才ウルシュス座長の筆になるものと想像しています。顔は醜くとも心の美しさがあれば良い、というのはもちろんデアの本音でもありますが、恐らく「自分以外は敵だ」とか「おまえは貴族のように生まれながらに幸せになる権利は持たないのだから、その裂けた口を売り物にここで生きるのだ」とか口では義理の息子に言い聞かせ続けたウルシュスの本音でもあるわけで。

にもかかわらずグウィンプレンは「デアは目が見えず自分の醜さを見たことがないからそう思うだけ」と考えており(※)、「その醜い顔こそが私を満たしてくれる」と言ってくれたジョシアナに心がぐらついてしまう、という展開はやはりどうしようもなく悲しいものがあります。ただ、ジョシアナも結局自分のことしか考えていないんですよね。

※これ、そんなわけないでしょ、と言ってあげたいですが、『ファントム』という別世界の別作品での醜いファントムに対するクリスティーヌの酷い仕打ちも知っているので、観ていてもにょってしまうのでした。

今回観ていて惹きつけられたのは、やはり主演たる浦井グウィンプレンでしょうか。今までに観たどの回のグウィンプレンよりも、熱く燃えさかっていたと思います。特に2幕の国会演説から貴族社会への決別を決めて咆哮するグウィンプレンの情熱と怒りには鬼気迫るものがありました。

あとフェドロ。冷静な表情とは裏腹すぎる野心を抱えた彼は、最後までミステリアスを貫いていました。

そして祐一郎ウルシュス。愛する息子の本心に気づいて懸命に止めようとするさまにも、傷ついた愛娘を膝枕して優しく温かい歌声で包み込む姿にも、そして最後に愛する子供たちが去って行くのをなすすべもなく見守るしかない哀しい表情にも。ただひたすら客席から共鳴するばかりでした。やはり劇場に関係なく発揮される祐一郎さんの空間支配力は伊達ではないです。

カーテンコールのご挨拶は浦井くんの仕切りで、宮原さん、朝夏さん、夢咲さん、禅さん、祐一郎さんの順に行われました。なぜに浦井くんのMCは天真爛漫さの中にもあんなにドキドキ感があるのでしょうか。

宮原さんは、殺陣のある役も悪役も初めての経験だったそうで、先述のとおり殺陣を浦井くんに教わったほか、役作りで禅さんや祐一郎さんに助けられたということを述べていました。殺陣の練習で頑張って休んでいると祐さんが声をかけてくれて……という話にその場面を想像してほっこり。

朝夏さんからは自分なりにジョシアナを演じられた、という手応えのある言葉が。また、夢咲さんはカンパニーの皆の温かさに助けられた、というようなことを述べていたと思います。

禅さんは、演出の上田さんから、本来は貴族でない者がジョシアナのように高貴な立場の人物に仕えることはあり得ない、と言われたことを踏まえ、フェドロについては頑張って役作りを行った、特に頑張ったのは「膝を曲げずに床に落ちたチョーカーを拾うこと」である、と実演してみせていました。それから浦井くんとはかつて父と子として共演した、と頭を下げ合い、「これからただならぬ関係に……(注:『ヘアスプレー』のことと思われます)」と祐一郎さんと互いに頭を下げ合って会場の笑いをさらっていました。

祐一郎さんのご挨拶は「もう思い残すことはございません。ありがとうございました」というシンプルなもの。シンプルな分。やり切った! な思いを感じ取りました。

まだまだ書き足りない気がしますが、ひとまず以上、大千穐楽の感想とレポートでした。

 

『笑う男』感想(2019.4.21 13:00開演)

キャスト:
ウィンプレン=浦井健治 デア=夢咲ねね ジョシアナ公爵=朝夏まなと デヴィット・ディリー・ムーア卿=宮原浩暢 フェドロ=石川禅 ウルシュス=山口祐一郎 リトル・グウィンプレン=下之園嵐史

今回は『笑う男』e+貸切公演。日生劇場ではこれで見納めになります。
ちなみに偶然にも日生で観た3回ともデアと子グウィンプレンが一緒でした。ねねさんのデアについては事前に分かっていましたが、子役さんまで揃うのは私的になかなか珍しいです。

この作品、原作と舞台、そして舞台のベースになったらしい2012年の映画版とは少しずつ話の内容が異なるらしく。元の脚本に由来すると思われる展開の分かりづらさについては演出家も役者も噛み砕いて伝える努力を講じていただいているようですが、微妙にややこしい部分をはしょり過ぎて逆に観客にあまりにも多くの推測を強いるのは、商業作品としてはちょっとどうなのかと思わないでもありません。

また、原作を読破された方の感想や英語版ウィキペディアの“The Man Who Laughs”の項目を参照した限りでは、舞台で完全な悪役になっているデヴィットは原作では少なくとも悪人ではなく、どちらかと言えば原作での加害者に人生を振り回された立場の人物のようです。ちょっと舞台では悪役を背負わされ過ぎていて気の毒な気がします。

しかしそういう印象にもかかわらず、舞台のエピローグではすっかりウルシュスに気持ちがシンクロしてしまっており、「こんなのってないよ!」と心が震えていたりするのですから不思議です。

ウルシュスの子供たちに向けられた不器用だが大きな愛。グウィンプレンが運命に翻弄された末にたどり着く愛。デアの天使ぶりと想い人に向けられた雛鳥のように信じきった愛。公演を重ねてそれぞれに深化していたと思います。

アンサンブルの皆さまも含めたカンパニーの雰囲気の温かさも随所から伝わってきて良いです。例えばウルシュス一座の女性芸人たちが総出で歌うナンバー「涙は流して」や、最後の若い2人と父親との顛末を見届けることになるラストシーンにそうした優しい雰囲気がにじみ出ていました。冷静に考えるとあのラストシーン、「止めろよ」と思わないでもないですが、原作ではウルシュスが気を失っている隙に……ということなので(一座は解散済み)、実際には一瞬の出来事だったのだと理解しています。

それから今回、3回目の観劇にして初めてジョシアナに深く共感できました。ジョシアナは演じる朝夏まなとさんの舞台映えする男前な見た目と歌声、そして強気な立ち居振る舞いもあって、最初はあまり思い入れを抱けなかったのですが、今回、2幕終盤のソロで今までになく彼女の哀れさが伝わってきて良かったです。

ジョシアナが一見強気の姿勢の陰で取り憑かれていたコンプレックス、焦燥感、渇望、そして自身が真実に求めていたものが何かに気づいた時には手遅れであった悲劇。この辺り、グウィンプレンと共通点がたくさんある一方、決定的な違いがあると思っています。

すなわちグウィンプレンは「欲しいものは既に手にしていたのに、真実から目をそらしていた人」。対するジョシアナは「全てを手にしているようでいて、その実何一つ持っていなかったことに、気づかなかった人」。グウィンプレンは真実の愛に気づいた後に束の間ではあっても幸福を味わうことができましたが、ジョシアナにはそれが許されなかった。2人が迎えた結末はいずれも決してハッピーとは言えないものでしたが、ジョシアナの方がより救われない感があるのは、その辺に理由があるのでしょうか。

なおこの公演はe+貸切公演だったので、終演後に浦井くんの舞台挨拶がありました。

「このカンパニーだからこそ、演出家が上田さんだからこそ、そしてウルシュスが祐さんだからこそ、素敵な舞台になっています」

というようなことを言っていたと思います。「祐さんだからこそ」の直後に山口さんがくるくる回りながらお辞儀をしていて大変にかわいらしかったです。そして浦井くん、後から慌てて「禅さんも!」と付け加えていました😊。

次にこの演目を観るのは北九州の予定です。もう一度ぐらい日生劇場で観たかった気もしますが、1ヶ月後、恐らく劇場が変われば演出も良い意味で変わるでしょうし、カンパニーの皆さまもより深化されているものと思われますので、期待してその日を待ちたいと思います。

 

 

『笑う男』感想(2019.4.13 13:00開演)

キャスト:
ウィンプレン=浦井健治 デア=夢咲ねね ジョシアナ公爵=朝夏まなと デヴィット・ディリー・ムーア卿=宮原浩暢 フェドロ=石川禅 ウルシュス=山口祐一郎 リトル・グウィンプレン=下之園嵐史

本日、2回目の『笑う男』を観てまいりました。

デアもリトル・グウィンプレンも初日に観たキャストと全く一緒で、物語を見慣れたためもありそうですが、キャストの皆さま、初日よりもだいぶしっくり役が身体になじんでいる印象です。

特にウルシュス父さん。初日は押し寄せる激しい感情を尊重しつつもどこか手探り感がありましたが、今回はウルシュスという厳しくも温かく、不器用で苛烈だが愛情深い人物像が、より一層確立されているように見えました。

この作品のラストシーンは、ビジュアル的には壮絶なまでに美しくて心を奪われますが、やはり、かつて世の中の不平等を諦めきって「俺は泣いたことがない」とうそぶいていたのに、今や子供たちのことを思って号泣する慈父へと変化しているウルシュスの気持ちに心を寄せると、あの場面はかなり辛いものがありました。

ただ、彼があの結末の後、再び泣かない人間に戻るか? と言えば恐らくそうはならないのではないか、いや、ならないでほしい、とも思っています。

そして、観劇2回目にしてやっとストーリーと登場人物の関係性や内面、特に貴族関係者の皆さまの内面への理解がだいぶクリアになった感があります。
まず、劇中での数々の所業がかなりアレなのに2幕のソロ曲が無闇にカッコいい、トム・ジム・ジャックことデヴィットの立場がよく分からん、と前回書きましたが、すみません、単に私が聞き逃していただけで、1幕で登場した際にフェドロが「クランチャリー卿の庶子」としっかり紹介していました。

なお劇中の「25年前に(略)」、「ウルシュスと暮らして15年」などの台詞から、青年グウィンプレンは25歳ぐらい、15年前に乳飲み子だったデアは15歳ないしは16歳と思われます。原作ではどうもデヴィットは44歳ぐらいらしいので、19歳違いぐらいならあの2人の関係性の設定はそんなに不自然ではなさそうです。まあ、いくら当時は15、6歳の娘は子供ではないとは言っても、デヴィットのデアに対する所業が鬼畜であることには相違ありませんが😡。

それから、禅さんの首尾一貫したポーカーフェイスが光るフェドロ。彼の行動の描写からして、どう考えてもウルシュス一座の旅芝居に出かける前には既に瓶の中の手紙に基づき目星をつけています(あの手紙、沈みかけた船の中でよく読める字が書けたな、と感心しますがそこは深く突っ込まないことにします。)。旅芝居に登場したグウィンプレンを見た時には彼の正体を確信していて、なのにしらばっくれてジョシアナの所にグウィンプレンを手引きした上に、グウィンプレンの正体確定後はあの家の使用人に顰蹙を買いつつ図々しく取り入ろうとしている(でもグウィンプレンからウルシュスに渡してくれ、と頼まれた金貨は一部しか渡していない疑惑あり😅)。そりゃ終盤でジョシアナもぶち切れるよね、と思いました。

また、例えば1回目は専らウルシュスに心を寄せていましたが、今回はジョシアナを憐れむ気持ちも少しずつわいてきています。

以下、自分が考える「ジョシアナの心情、たぶんこうだったんじゃないか劇場」(元ネタ:『チコちゃんに叱られる』)的な解釈です。ストーリーのネタバレありまくりなので未見の方はご注意ください。

 

ジョシアナは自分が身を置く貴族社会と自身の身分について、かなり抑圧を覚えてしんどく思っていたのだと思います。ただでさえ女性は現代以上に社会的足枷をはめられており、しかも「女王陛下の妹君(ただし側室腹で異母姉妹)」という微妙な但し書きの付く立場。
しかし、彼女は狭い王侯貴族の世界しか知らず、たとえ女王より劣った出自であろうとその世界で生きていくしかない人物。もしかしたら意図的に高飛車に、自由を標榜して振る舞うことで、ようやく自己を保っていたのかも知れません。
ウィンプレンについては、最初、自分に貴族世界を束の間忘れさせてくれる刺激的な火遊び相手、しかも貴族には絶対服従の身分としか思っていなかったのが、その相手からけんもほろろにされた衝撃はただ事ではなかったであろうことは想像に難くありません。
しかも後日、彼が実は自分と同じ世界に属する人物だと知り、

「この人も私を縛る側の人間に過ぎなかったのか。しかも正室所生だなんて!」

と心底がっかりしたのだと思います。
ところが彼女は、グウィンプレンが国会で貴族社会を批判する演説―しかも王配殿下への特権付与の否定なので女王への侮辱でもあります―を行ったことで、多分「彼こそが自分が内心で求めていたものを与えてくれる人であり、自分をこの世界から救い出してくれる人物かも知れない」とやっと気づきました。けれど時既に遅し。
またジョシアナ、フェドロが職務上グウィンプレンに関して知った事実について職権濫用した上に、恐らくは新当主を傀儡にするつもりで、元々主人であった筈のジョシアナをも謀って手駒の1つにしてあの家に取り入ろうとしていたことは既に悟っていたことでしょう。
というわけで、キーッ、おまえさえ主人を欺いて(裏切って)クランチャリー卿家にしっぽを振らなければこんなことには! ……となってしまったのではないかと解釈しています。

 

以上、長くなってしまいました。あくまで一個人の解釈ですのでご容赦ください。

次回の私の『笑う男』観劇は4月21日ですが、日生劇場公演の手持ちチケットはこれで最後になります(北九州大千穐楽には出向く予定)。この作品、リピート観劇でないと分かりにくいし大団円のハッピーエンドでもありませんが、音楽も物語も決して嫌いではないですし(「幸せになる権利」、大好きです!)、音響の良い日生でもう2、3回観たかった、と贅沢なことを考えたりしています。

 

『笑う男』初日感想(2019.4.9 18:00開演)

キャスト:
ウィンプレン=浦井健治 デア=夢咲ねね ジョシアナ公爵=朝夏まなと デヴィット・ディリー・ムーア卿=宮原浩暢 フェドロ=石川禅 ウルシュス=山口祐一郎 リトル・グウィンプレン=下之園嵐史

日生劇場にて『笑う男』の初日を観てまいりました。

実は観劇前に国立国会図書館のデジコレで原作の「結末のみ」を知ってしまうという大失敗を犯したのですが、見終わってみると結末を知っているか否かはあまり関係なかったように思います。

この物語で最もハンディキャップと悲劇を負っているのは生まれながらに目の見えないデア、そして「笑う男」グウィンプレンの筈なのですが、グウィンプレンにはあまり「可哀想」という感じは受けませんでした。

根深いコンプレックスを抱きつつも強かに振る舞い、運命に翻弄されながら結局は自分の意思を貫く彼のキャラクターもさることながら、何よりも最後の彼の行動に(結末を知っていても)、「何故父さんを置いていくー!?」と異議を唱えずにはいられませんでしたので。

もちろん、「デアを再び独りぼっちにしたくなかったのだね」「彼女が君の生きる意味だったんだね」と、自分なりに彼の心情を推し量ることはできます。ただ、ウルシュス父さんの嘆きの深さがあまりにも悲しすぎる!

だって、序盤であんなに世をすねた様子でぼそぼそとぶっきらぼうに振る舞っていた、しかも原作では狼しか友達がいないらしいウルシュス父さんが、2人の養い子を守り食べさせるために旅芸人一座まで結成して、健気に生きてきたんですよ! 健気という言葉が、そこそこ良い年齢の男性に相応しいかは分かりませんが😅。しかも父さん、2幕では涙が鼻から洪水になるほど嘆き悲しんでいたというのに、息子よ、君はなんてことを!!

……すみません、ついウルシュスに強く肩入れしてしまいました。少しクールダウンして音楽の話をします。

この作品の作曲家はフランク・ワイルドホーン。ワイルドホーンさんと言えば、次々に畳みかけるように攻めてくるドラマチックな曲調。そしてプリンシパルとアンサンブルの別を問わず、歌い手の技量が試されそうな非常に難解な旋律。『笑う男』も例外ではありませんでした。キャストの皆さま、お歌は問題なさそうな役者さんばかりですが、感情を載せつつあのメロディーを歌いこなすのは大変だと思います。

また、『笑う男』はデュエットソングが美しい演目でもあります。
1幕の劇中劇と2幕終盤で歌われるグウィンプレンとデアのデュエット「木に宿る天使」、グウィンプレンとウルシュスのデュエット「幸せになる権利」が特に心に残りました。
特に後者。もしかしたら、浦井くんと山口さんのガチ声量対決デュエットは、トート&ルドルフ以来? と記憶を巡らしながらどっぷりと聴き入っておりました。

お芝居の感想に戻りますと、『笑う男』は原作をほぼ知らず、演目も初見であったことも手伝って、貴族たちの設定に一部よく分からないところがありました。例えば、
「あれ? デヴィットは結局グウィンプレンとどういう関係?」(これは私が聞き逃しただけで明確な回答が劇中にあったようです)
「フェドロってジョシアナの家来だったよね? なぜデヴィットの家にも普通にいるの? 単に目の前のチャンスに何でもコバンザメしてるだけ? あとただコバンザメしてただけなら、なぜジョシアナから裏切者呼ばわりされるの?」
などなど。

「裏切者」呼ばわりについては、原作を読了した方のブログを拝読した限りでは、原作のジョシアナはグウィンプレンより一回り以上歳上で、彼に魅力は感じていても婚約を知った後は興味を失ってしまったとのこと。つまり結婚話は意に添わなかったということなのかなあ? と思いましたが、舞台のジョシアナはグウィンプレンが逃げた後で自分の運命を嘆いているので、ちょっと分かりにくかったです。

まだ北九州の大楽まで1ヶ月半。この演目、演出家(上田一豪さん)が試行錯誤している感が伝わってくるので、プレビュー公演を何日かやりながら枝葉末節を整えていくぐらいのスケジュールでちょうど良かったのでは? と思う一方で、どこか中毒性がある演目のようにも感じられます。

若い二人とウルシュス一座を包み込む優しい光と影、貴族社会のキッチュさと厳かさに満ちた空気を醸し出す、奥行きのある舞台装置。劇中音楽のメロディーの美しさ。それからなんと言っても、ウルシュス父子の愛情深さ。

劇場でパンフを購入したところ、浦井くんとWデアのお二人との鼎談で、初めての通し稽古を終えた時に山口さんが大号泣した、というエピソードが紹介されていて驚きました。いみじくも劇中でウルシュスが「歳を取ると涙もろくなって……」と呟いていましたが、それだけではなく、演じる2人の強固な信頼関係があってこそのウルシュスとグウィンプレンの強い絆が、この演目の見所の一つであると感じられた一件でした。

また、父と息子だけではなく父と娘の場面についても、印象に残っています。盲目で心臓の弱いデアを大事に慈しむウルシュスにとっても、彼に呼応するようにデアを守り支える一座の仲間たちにとっても、デアは愛すべき大切な天使であったのだと思います。彼女を襲った運命は過酷ではありましたが、デア自身はラストで愛情に満たされていたであろうことが、この残酷で美しい物語の数少ない救いです。

以上、公演初日の感想でした。

初日のカーテンコールでは、キャストのご挨拶はありませんでしたが、作詞のヨハンソンさんと音楽のワイルドホーンさんのお二人からご挨拶がありました。内容はあまりきちんと覚えられておらずすみません。

次回の『笑う男』観劇は、今週土曜日の予定です。初日の時はストーリーを把握するのに没頭していて見えなかった様々な「気づき」が、この作品には隠されているに違いない、と楽しみにしています。

 

『パリのアメリカ人』感想(2019.2.23 13:00開演)

キャスト:
ジェリー・マリガン=松島勇気 リズ・ダッサン=近藤合歓 アダム・ホックバーグ=斎藤洋一郎 アンリ・ボーレル=小林唯 マイロ・ダヴェンポート=宮田愛 マダム・ボーレル=佐和由梨 ムッシュー・ボーレル=味方隆司 オルガ=木村智秋 ミスターZ=金久烈

劇団四季の初演ミュージカル『パリのアメリカ人』をシアターオーブまで観に行ってまいりました。

 

まず何よりも、とにかく舞台の絵面が綺麗で惹きつけられました。背景に映る画像・映像、大道具、小道具で表現されるパリの街並みや生活文化も、しなやかで華麗なバレエも、一つ一つがパリの風景の美しい瞬間を鮮やかに切り取った見事な絵として構成されていたと思います。

パリには一度も行ったことがありませんが、ちょうど『ブラタモリ』パリ編で、せせこましく不潔な都市だったパリを近代の都市計画で美しい町筋に大改革した話を学んだところでしたので、ことさらに強く風景の美しさを感じたのかも知れません。

 

物語の舞台は第二次世界大戦後間もなく、ナチスドイツの支配から解放されたばかりのパリ。光る実力を持ちながら、ある事情のため足枷をはめられてしまっているバレリーナのリズと、彼女を愛することになった3人--歌手志望のフランス人アンリと、2人のアメリカ人、画家のジェリーと音楽家のアダムとが、紆余曲折の末にそれぞれの歩む道を見出すまでのドラマ、と書いてしまうと単純に過ぎますが、ガーシュウィンの華やかでありながらどこか哀感を帯びた楽曲にのせて紡がれる物語は何ともほろ苦い味わいでした。

そして何と言っても劇団四季なので、歌もバレエも質が高く、安心して大船に乗った気持ちで観ることができました。大船に乗りすぎて1幕終盤のバレエパートで睡魔に襲われてしまいましたが😅。特にヒロインのリズ。作品の出来はリズ役者さんの技量次第のように思いましたが、近藤合歓さん、素晴らしかったです!

ちなみに今回、ジェリー役の松島さんとボーレル氏の味方さん以外は初見のキャストでした。と言うか四季自体『ウィキッド』以来ご無沙汰していたような……? アダム役に以前東宝ミュージカルにも出ていらした俵和也さんがキャスティングされ、実際に出演もされているようなので、そちらもちょっと見てみたかったな、と思っております(もちろん今回の斎藤さんも素敵でした!)。

 

以下、若干のネタバレがありますのでご容赦ください。

リズは婚約者を決して愛していなかったわけではないと思いますが、戦争のために相手への余計な義理や恩義が生まれてしまい、知らず知らずのうちに相手への気持ちが純粋なものではなくなっていたところに、彼女に一目惚れしてぐいぐい心に潜り込んでくる異国人が現れたため、これまた無意識のうちに心を解放してくれるかも知れない彼に惹きつけられていってしまいます。

恐らくあの戦争、そしてあのホロコーストさえなければ、多少の身分や信仰の違いさえあれど素直に婚約者と結ばれていたに違いないし、しかもリズの恩人たちも戦時中の反体制活動を戦後大っぴらに口にできないなんて……と考えると、一応ハッピーエンドではあるものの、フランスを苦しめた戦争の影が色濃く落ちていて、決して底抜けに明るいとは言えない結末です。

しかし、2幕クライマックスでリズが自らの気持ちに決着をつけるために臨むバレエ公演が、多少なりとも観客を救ってくれます。これは一種の劇中劇だと理解していますが、リズが共に踊るパートナーはいつしか彼女が真に求めている相手に姿を変え、群舞は彼女の心の動きを象徴するかのように華麗でダイナミックに変化していきます。それらを支えるのがダンサーの高い技量であることは言うまでもありません。

 

この物語でひとつだけ物足りなく思ったのは、2人のアメリカ人、ジェリーとアダムがどんな心境で母国に帰らず異国の地に残ったのか? が割と曖昧に片付けられているところです。

もちろんパリは芸術家にとって憧れの花の都であり、また、彼ら以外にもマイロがハイソなコミュニティの中で強かに泳ぎ回っているように、そうしたことはさほど珍しい話でもなかったのかも知れませんが、彼らも戦争で心に一定のダメージを負っているらしきことが端々で匂わされているので、それぞれに異国の地で芸術の夢に、そして1人の心に屈託を抱いた美しい娘に何故あそこまで強く惹かれたのかがもう少し明確に描かれていれば良かったのに、と考えずにはいられませんでした。

なお個人的にジェリーにあまり共感が湧かず、最後まで自らの本心を胸にしまい続けたアダムや、愛ゆえに身を引くことを選んだアンリについ気持ちが寄り添い気味だったのが、上記の思いに繋がっているようです。とは言え、ジェリーの強引なアプローチが彼女の心を救ったんですよね……。まあ、仕方がないかな、とは思っております。

 

以上、『パリのアメリカ人』の感想になります。しばらく劇団四季は観られていなかったのですが、また観たい! と思わせてくれる舞台でした。

次に観に行ける舞台は日生劇場4月公演、東宝の『笑う男』でしょうか。3月も何か観に行けると良いのですが、本業多忙、そもそも手持ちチケットもないので今のところは未定です。寂しい!

 

『レベッカ』大千穐楽感想(2019.2.5 13:00開演)

キャスト:
「わたし」=大塚千弘 マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=涼風真世 フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=tekkan ジュリアン大佐=今拓哉 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=出雲綾 ヴァン・ホッパー夫人=森公美子

レベッカ』大千穐楽@シアタークリエの感想です。

カーテンコールレポートはこちらをどうぞ。
『レベッカ』大千穐楽レポート(カーテンコールのみ)(2019.2.5 13:00開演)

今回の座席は上手ブロック通路寄りでした。

祐一郎さんはお声の調子も良く、大千穐楽だったこともあってか、それまでの集大成を見せるがごとく全力で、しかし決して大仰でもなく、努めてまっすぐにマキシムという気むずかしくて癇癪持ちで脆い心を持つ人物に向き合っていたように見えました。

あれ? と思ったのは2幕終盤。レベッカの真実が明らかになりロンドンからコーンウォールの最寄り駅に降り立った妻を視認し瞳を輝かせたマキシムとIchが歌う「夜を越えて」。マキシムの歌声が終始感極まって泣いていたように聞こえました。あまり頻繁に想定外の感情をお芝居に乗せる方ではないので、こういうことはそうたくさんあるわけではありませんが、その後衝撃的な出来事が待ち受けていることを知らぬが仏とは言え、レベッカの呪いからの解放と、妻との揺るぎない絆を手に入れたというマキシムの感慨が、演じる方の心を突き動かしたのでしょうか?

そんな貴重な瞬間を目の当たりにしてしまった結果、普段あまりこう言う言葉は使わないようにしてきたのですが、やはりこの方は唯一無二なんだなあ、とすっかり心を鷲掴みにされた体たらくです。

それから千弘Ich。2週間ぶりに観て、「ああ、他の人とのデュエットできちんと歌声が聞こえてくるIchは良いなあ」と改めて思いました。

また、以前も同じようなことを書いたかも知れませんが、間合いの取り方や表情の変化など細かい芝居が上手いです! 例えば今回は、2幕でマキシムの告白場面の後、「まだ……私を……愛してくれるのか?」と語りかけられてから、「愛してるわ! 世界中の誰よりも!」と答えるまでの絶妙な間など。

あと、これは「お前はどこ見てるんだ?」と言われそうですが、2幕序盤のダンヴァースに追い詰められる場面で、床に這いつくばり後ずさりして逃げ惑いながらも、脚はむき出しになり過ぎないようしっかりガードしている所も良いなあ、と。あの場面で両脚膝下がむき出しになってしまっているIchちゃんもいて、ちょっと気になっていましたので(だからどこを見ているのかと😅)。

今回は、マキシムとIchの夫妻が、2幕でファヴェルが証拠を突きつける場面で見せる無言の芝居に注目して見入っていました。不安でたまらない夫が泣きそうな顔で妻の手を握りしめ、妻がしっかりと握り返したり、指摘が図星だった時には夫がひっそり腕組みをしてみたり、ファヴェルのいちいちむかつく物言いにキレそうになる夫を妻が懸命に抑えたりして(最後の最後にキレてしまいますが)、なかなか面白かったです。この辺りの2人の演技、実はファヴェルやベンに気を取られていてあまりじっくり観察したことがなかったのですが、Ich役者さんによって微妙に雰囲気が異なるらしいので、もっときちんと見比べておくべきだったと悔やんでおります。

以下、その他のキャストや場面で印象に残った箇所をいくつか記します。

涼風ダンヴァース。知寿ダニーがゴジラとすれば、涼風ダニーは何だろう? と考えていて、そうだ、白蛇だ! と思い至りました。しかも舞台上にいるのは仮の姿で、本体はどこかの森の奥深くにある湖とかそういう所に棲んでいる大きな白蛇なのでは? と。彼女がキューピッド破損事件で詰問した時にマキシムが、妻はお前に逮捕監禁でもされると思ったようだ、と言っていましたが、いや、それどころじゃなくて、蛇の目でロックオンされて丸呑みされるだろ、あれ、と心の中で異論を唱えるなどしていました。

なお、現実か幻覚かは定かではありませんが、あのラストのダニーの(レベッカの?)どやー! という感じの狂気の笑い声を聴いてしまったマキシムが、約20年後に(現在のキラキラしたのっぽさんと同年代にも関わらず)魂を抜かれたような白髪のおじいさんになり果ててしまうのは仕方ないなあ、と今回改めてぞっとした次第です。

禅フランク。1幕でIchから相談を受けた後のソロで「そして何よりも、信頼できる!」と歌う時、彼もまた、レベッカの影と向き合い戦っていることが見て取れます。よほど彼女の生前、お家の隆盛と引き換えに、ドヤ顔でマキシムに後足で蹴りを入れて屈辱の淵に沈めているのが腹に据えかねていたんでしょうね。

ちなみに私は、2幕でファヴェルが「持ちつ持たれつ」(私は密かに「皮算用ソング」と呼んでいました)を歌い踊りながらばらまいた紙幣を、曲が終わるまでの間にしっかり全部拾い集めている彼が好きです。

モリクミヴァン・ホッパー。前楽の時もそうだったようですが、マキシムにキスを迫ってみるなど、最後にちょっぴり悪目立ち癖が出てしまった感じで、残念でした。ただ、モリクミさん、プレビュー初日の頃よりも、Ichにきつく当たりつつも結婚話を聞いた時はなんだかんだで心配もしてあげている感じが伝わってくるようになってきて、そこは良かったと思います。

あと、これは細かすぎるポイントかも知れませんが、マンダレイの使用人の皆様は場面転換の時に決して走りません。新しい奥様を出迎える時も、奥様の命令でレベッカの遺品を処分し模様替えする時も、ダッシュはせずにやや早足歩きで退場していきます。確かに格式の高い旧家に仕えている皆様がばたばたと走っていたら変ですよね。

使用人たちの動きで今回着目したのは、Ich付きメイドのクラリス(島田綾さん)。レベッカのナイトガウンを処分しようとしている時、目の前に立った涼風ダニーにガツーン! と足を踏み鳴らされますが、じっと耐えております。これはどなたかの感想で、ダニーの罠にはめられたとは言え可愛がってくれている奥様(メイクアップの場面の2人の表情から良い関係が築かれているらしいことが分かります)に恥をかかせてしまったので、奥様のために彼女なりに戦っているのだ、と言うのを拝読し、なるほど! と思いながら見ていました。

ところで、これも友人から言われて気づいたのですが、あのレベッカのナイトガウン、あれだけファヴェルが濃密にエロエロに戯れていて、恐らくダニーも時々頬ずりなどしていたら、既にレベッカ自身の残り香などは何処かへ飛んでいってしまって久しいのではないでしょうか? あのタイミングで処分してちょうど良かったかも、とすら思っていますが、あまりそういうことを言うとダニーに呪われそうなので止めておきます😅。

 

というわけで、私の『レベッカ』がついに終わってしまった、また逢えるかしら? と嘆いていたさなか、昨日(2月8日)に帝劇11月公演のTdVの全キャストが発表になりました。

桜井玲香さんのサラ(神田沙也加さんとWキャスト)は何となく想定の範囲内でしたが、千弘さんが、ちーちゃんが、マグダを演じるということに「おおー!」と私の中の影コーラスたちがどよめいて叫んでいます。初演と再演で「田舎で鬱屈している健康な乙女の若さへの傲慢と、悪と妖かしの世界への無邪気な憧れ」を余すことなく見せてくれた彼女が、一見すれているようで実はあの物語の中で一番の正直者とも言えるマグダをどう演じてくれるのでしょうか。

今度のTdVはわずか3週間しか公演期間がない上に、休演日と休演日との間に最大で11連続公演が入っているなど過酷なスケジュールが気がかりではありますが、伯爵様の艶やかな勇姿とともに、千弘マグダの登場も心待ちにしたいと思います。

 

『レベッカ』大千穐楽レポート(カーテンコールのみ)(2019.2.5 13:00開演)

キャスト:
「わたし」=大塚千弘 マキシム・ド・ウィンター=山口祐一郎 ダンヴァース夫人=涼風真世 フランク・クロウリー石川禅 ジャック・ファヴェル=吉野圭吾 ベン=tekkan ジュリアン大佐=今拓哉 ジャイルズ=KENTARO ベアトリス=出雲綾 ヴァン・ホッパー夫人=森公美子

ついに『レベッカ』が大千穐楽を迎えてしまいました。

一応キャスト表を書いておきましたがタイトルのとおり、今回はカーテンコールのみのご報告です。ほぼ当日夜に速報ツイートしたままの内容で、例により私の記憶頼みですので、細部は結構いい加減です。「だいたいこんな雰囲気だった」程度の広い心でお読みいただけましたら幸いでございます。

カーテンコールで挨拶されたのは、千弘さん、涼風さん、そして祐一郎さんのお三方です。司会は祐一郎さん、自称「マキシムさん家ののっぽさん」でした。客席から見てセンターにのっぽさん、その右側に千弘さん、左側に涼風さんが控えていました。

こののっぽさん、前楽ではどうも一足先に楽を迎えた知寿さんと綾さんを紹介する時、知寿さんを火を吹くジェスチャー付きで「ゴジラ」、綾さんを初対面の時アニメ声っぽかったとかいう前振り付きで「宇宙人」と紹介したらしいので、大楽でも何かたくらんでいるに違いない、と思っていたら、期待に応えてくださいました。

まずは千弘さんのご紹介。のっぽさんが千弘さんと初めて会ったのは彼女が高校生の時、楽屋で、だったそうです。同行の親御さんから「娘をよろしくお願いします」と言われて「えっ、よろしくされちゃっていいんですか?」とどきどきしたとか。
「自分より彼女の親御さん(お父様)の方が若いんです」と何故かクネクネしながらペコペコ頭を下げるのっぽさんに、千弘さんが、多分フォローのつもりだったと思われますが「いいえ、うちの親と同じ歳です」とトドメを刺していました。ガーンとなって下手方向に歩いて帰ろうとする司会者、禅さん(だったと思いますが今さんだったかも?)に引き止められていました。

それにしても、千弘さんだけでなく、確か知寿さんも四季入団前の高校生の時に祐一郎さんと初対面だった筈。なんて羨ましいのっぽさんなんでしょう。
続いての涼風さんのご紹介は、
「『2人のわずか3日間の愛が永遠になった』とか言ってたのに(注:『マディソン郡の橋』の話です)、今回『ああん、うれちいわぁ』(と、舞踏会開催を許されたIchの物真似をして再びクネる)とかやってると、この方が後ろに立ってて『オホン』(何となく涼風ダニーの顔真似っぽいものをしながら咳払い)とか言う感じになっているんです」
というような内容でした。書き起こしてみると、あまり紹介になっていないような……。でも面白いから許します。

そんな司会者の暴走をよそに、千弘さんからは、
「10年経って、瓶に詰めた筈のIch役をまたできて幸せでした。瓶の中でドロドロになってなくて良かったです」(ここでキャストの皆様も客席も爆笑)
とのご挨拶がありました。いいのよ、またやってくれても、大歓迎だよ! と思いながら聞いておりました。
続いてのっぽさんから「皆様、キャッチフレーズのご唱和の用意を」とご挨拶を振られた涼風さん。一旦スルーして普通のご挨拶に入る振りをしてからいつもの「昔、妖精。今、妖怪」コール(太字部分が客席コールです)を入れていました。
涼風さんのご挨拶では、
「ベストの体調で舞台に立ち続けることの難しさを痛感しました」
と仰っていました。私は好調な状態の涼風さんしか目にしていなかったように思っていましたが、もしかしたら公演期間中、どこかで無理していた時期もあったのかな? と想像しています。その後で、キャスト、オケ、スタッフ、観客への感謝の念を述べられていました。
最後に、「みんなも大好き、私も大好き、山口祐一郎さまです」と涼風さんからのキャッチフレーズ(?)の振りを受けてのっぽさんからのご挨拶がありました。……しかし、申し訳ございません。あまりに笑いすぎたせいで、肝心ののっぽさんのご挨拶内容をど忘れしてしまいました。でもいつものフレーズ、
「夢のようなひと時を過ごさせていただいて幸せでした。本当にありがとうございました!」
がいつも以上に実感がこもっていたように聞こえた気がしました。

 

(2019.2.9追記)

のっぽさんのご挨拶を少しだけ思い出しましたので追記します。

「このまま客席の皆様とロビーで3時間ぐらいパーティーをやりたいぐらいですが(ここで客席から拍手の嵐)……遠くから(大阪などから、と言っていたような)いらした方は新幹線のお時間もありますので、お気持ちだけで」

ということを仰っていました。

それから、涼風さんが喉の調子を崩されていたのはどうも1月末頃の出来事らしいとファンの方のブログ等で知りました。やはりちょうど私がクリエに行っていなかった時期に当たります。

他方で、その前々週辺りには祐一郎さんの喉が不調なように見受けられましたが、それも多分その時期に観劇の機会がなかった方はご存じないままだと思われますので、まあ、そういうものなのだろうと思いました。

(追記ここまで)

 

なお、どうも前楽ではド・ウインター夫妻と知寿ダニーの3人カテコがあったらしいと聞いたので、もしかしたらド・ウインター夫妻と涼風ダニーとで3人カテコやってくれたりしないかなー? と淡い期待をしていましたが、残念ながらそれはありませんでした。でも、のっぽさんと千弘ちゃんの絶妙の呼吸と極上の笑顔を見られましたので、良いことにします。

ということで、以上、カーテンコールのレポートでした。乱筆乱文にて失礼いたしました。公演本編の詳しい感想は日を改めて書きたいと思います。