日々記 観劇別館

観劇(主にミュージカル)の感想ブログです。はてなダイアリーから移行しました。

『貴婦人の訪問』シアタークリエ初日感想(2016.11.12ソワレ)

キャスト:
ルフレッド・イル=山口祐一郎 クレア・ツァハナシアン=涼風真世 マチルデ・イル=瀬奈じゅん マティアス・リヒター=今井清隆 クラウス・ブラントシュテッター=石川禅 ゲルハルト・ラング=今拓哉 ヨハネス・ライテンベルグ=中山昇

『貴婦人の訪問』(再演)のシアタークリエ初日公演を観てまいりました。
以前の自分なら観てきた夜のうちにそのテンションのままにブログを更新していたように思いますが、今は無理です。
杖を突きつつ電車に1時間ちょっと乗って劇場まで歩いて、お芝居を観て、ごはんを食べてまた電車に乗って家に帰るという行程をやり遂げただけでも偉いぞ自分!という感じです。
でも同じことを来週もまたやろうとしているんですよね(^_^;)。……大丈夫か自分。

さて、お芝居の感想にまいります。
…‥いやあ、昨年初演を観たばかりなのに、お芝居のストーリーは覚えていても、演出や小道具の細かい所って意外と覚えていないものですね(^_^;)。
例えば、私は一応そごう西武でお馴染みの「おかいものクマ」ファンなのですが、この演目の2幕のとある場面におかいものクマ(お座りver.)がさりげなく登場することを綺麗さっぱり忘れていました。後半の最も重要な場面(雑貨屋さんのソロあり)なので、初演の時はそっちの展開に気を取られていたのかも知れません。そんなわけで再演なのにストーリー以外は割と新鮮な気持ちで観ることができました。
ただ、クレアのお供の黒豹さんについてのみは、流石に変更が分かりました。初演時にはいかにもぬいぐるみさんな丸みを帯びたお姿でしたが、今回はだいぶ精悍なお姿にリニューアルされていましたよ(^_^)。

かく言う状況なので、演出の細かい変更があったかは分かりませんが、今回、メインキャストのほとんどが続投であったこともあり、初演時よりも役者さん方の登場人物の作り込みと動かし方にメリハリがあって、お芝居の緩急がグッと良くなっていたような印象を受けました。
アンサンブルさんは東宝組ベテランの方を除いて全員を把握できているわけではありませんが、台詞のあるキャストの交替は多分マチルデとレーナちゃん(子役)だけだと思われます。
前回春野マチルデが好演していたので、瀬奈マチルデはどう出てくるだろう?と気になっていましたが、やはり好演であったと思います。
マチルデの基本的な性格はもちろん初演時と一緒なのですが、瀬奈マチルデは過去に夫とクレアとの間に起きた事件の真相を知りつつも明るく朗らか、「私が信じて尽くせば、言葉にしなくてもあの人も応えてくれる筈」とポジティブ・シンキングな人物でした。
彼女は、ポジティブかつささやかな夫への期待が決定的に裏切られた後でも少し葛藤しているのですが、結局は裏切りが覆らずに審判を下す決断をした挙げ句、去り際のクレアに「これであの人は私だけのものよ」とばかりに凄みのある微笑みを向けられてしまいます。これは果たして、このくせ者揃いのお芝居の中で最も共感しやすい人物として彼女に同情すべきなのか?それとも彼女を襲った因果応報に打ち震えるべきなのか?と迷いながら、あえて動くことのない彼女の最後の表情を見守っておりました。

特筆すべきはやはり主人公2人、アルフレッドとクレアでしょうか。
ルフレッドは再演でもやはり不器用なクズ男でしたし、クレアはやはり自分ではどうしようもない業を山ほど抱え込んだ悲しくも愛情深い女でした。
そして、演じる山口さんも涼風さんも「ぶれない」人であり、お2人がこの演目において強い求心力を担っていることを今回改めて実感しています。
山口さんが地の台詞との境目なしにすっと歌の世界に入り、様々な歌声を使い分けることによるアルフレッドの心境の変化のドラマティックな表現。涼風さんの絶唱で容赦なく舞台上に吹き荒れるクレアの深い孤独と哀しみ。こうしたお2人のプロフェッショナルという次元を超えた演技を生の舞台で観られることはやはり「眼福」と言わずにはいられません。

それから、アルフレッドのお友達のおじさま方4人。
1幕ではあらゆる真実と向き合わずにただ逃げ回るだけであったアルフレッドが、2幕で徹底的にそれらと正面から向き合い、最終的に自らの真実をクレアに捧げて悔いの無い人生を全うするのに対し、おじさま方は、人間なら誰でも抱く本音を、それぞれの立場において建前として推す正義で覆い隠して正当化していく様子が非常に怖かったです。
この構図についてインタビューで山口さんが、「アルフレッドだけが私人で、他の4人は公人」と発言しているのを読んで非常に納得することができました。一般市民はストレートに欲望を剥き出しにしますが、市長、警察署長、教師、牧師という「公の顔」を持つおじさま方は、悲しいかな、「私」としての生き方そのものが既に公人なので、建前を前面に出して生きることが長年の慣わしになってしまっているのだと思います。
1幕のおじさまカルテットによる「とんでもない」は本当に力強く、格好良くて素敵なナンバーなのですが、実はその辺りの一見格好良い建前が丸出しの歌でもあるような、と今回改めて聴いて感じました。

そしておじさま方の誰一人として、「罪人」という立場からも昔の良き友情からも切り離された、裸のアルフレッドには向き合おうとしないと言う……。
クラウス校長は恐らく4人の中で唯一、公人としてではない良心あるいは公私のボーダーの心境でアルフレッドに向き合いかけた人なのですが、悲しいかな、財政逼迫の真相(全てはクレアの掌の出来事であったこと)と大衆心理への絶望とで折れてしまって流されてしまいました。心が荒む前の1幕での校長の歌声がレミゼのマリウスそのものの危なっかしく澄んだ歌声で、人はパンのみでは生きられないが、モラルだけでも生きられない、という現実をまざまざと見せつける人物でもあります。

再演初日を見終えて抱いた印象は、初演の時と大きくぶれのない、
「救いのない結末なのにアルフレッドは救われている」
「クレアは一見悲劇にも見えるが、彼女の愛は変則的な形ではあるものの明らかに成就している」
というものでした。そしてマチルデとクラウス校長はクリティカルダメージを喰らい、他の人々も一見財産を手に入れながら誰一人救われているようには見えない……。

カーテンコールでは、山口さんのリードで瀬奈さん、涼風さんから短めのご挨拶がありました。そして締めに山口さんからも本当に一言。救いが少ない結末ですが、山口・涼風ペア、石川・瀬奈ペア(何故?)でにこやかに舞台から捌けて行くお姿にはかなり救われました(^_^)。

さてさて、この演目は東京公演をあと2回観る機会がありますが、公演期間の間にキャストの皆様はどう変化してくださるでしょうか?楽しみです。

『王家の紋章』感想(2016.8.13ソワレ)

キャスト:
メンフィス=浦井健治 キャロル=新妻聖子 イズミル平方元基 ライアン=伊礼彼方 ミタムン=愛加あゆ ナフテラ=出雲綾 ルカ=矢田悠祐 ウナス=木暮真一郎 アイシス濱田めぐみ イムホテップ=山口祐一郎

王家の紋章』2回目にしてマイ楽の観劇のため、再び帝劇まで出かけてまいりました。
今回は家族と一緒に帝劇まで直接、車という文明の利器で出向いたので、歩く距離も疲労度も最小限で済ませることができました。本当は自力で都内を運転できれば最高なのですが、残念ながら運転技術がその域には達しておらず、他力本願での移動となりました。

2回目の『王家』はプレビューの時から何らかの手直しが入ったためか、あるいは前回よりも体力が温存されていたためかは分かりませんが、観ていて圧倒的にイラッと感が少なかったです。各々の見せ場も無駄なくメリハリを持って終盤まで突き進んでいました。
例えば、プレビューでは1幕の宰相様の登場シーンで、宰相様が諸国からのお土産の手前で少々挙動不審、もとい、動き方に戸惑っている様子でしたが、今回はその辺りの動きがすっきり整理されていました。
全体的に、夏休み期間の公演にふさわしく、ドラマティックでありながら肩のこらないストーリーに素敵な音楽もたっぷりの、娯楽大作に仕上がっていると思います。

キャストの感想に移ります。
今回初見だった平方イズミルは、宮野イズミルよりも王子様度は高いという印象です。アプローチが宮野さんのようなオラオラ系男臭さではなく、宝塚の男役系の端正な男臭さで押しているように感じられました。
Twitterなどで、
イズミル王子がいつキャロルを好きになったのか分からん」
というツッコミを多数見かけたので、そう言えば宮野イズミル、ディープに振る舞っていた割にはその辺が分からなかったな、と思い、今回の平方イズミルをじっくり観察していましたが……やはり良く分かりませんでした(^_^;)。

話の展開からすると、鞭で引っぱたいても言うことを訊かないキャロルを目にして、王子に対してそんなままならない強い意志を持った人間と出会ったのは生まれて初めてだったので、惹かれたのだろうとは思います。
ただ、その流れはメンフィスがキャロルに惹かれたきっかけ―ただの奴隷だと思った相手から強烈なレシーブを返されて、何だこの見たことのない生き物は?ともやもや。しかも目の前で「アメリカに帰りたい」と弱みをさらけ出し号泣されておろおろ―とほぼ一緒なのですね。
しかもメンフィスは理屈よりもまず「珍しい黄金の髪」への興味から始まる動物的本能でキャロルに惹き付けられ、更に命を救われるに至って愛に目覚めていますが、イズミルはまず「あくまで利用価値のあるナイルの娘だから人質に取る」という理屈でキャロルをさらっておいて、結局後から理屈をすっ飛ばして惚れ込んでいる分、メンフィスの愛よりもある意味質(たち)が悪く、粘着力が強いと思うのです。

それから、前回書き忘れていましたが、この舞台では若手の役者さんが要所要所で大事な脇の役割を果たしています。
具体的には、矢田ルカ、木暮ウナス、そして工藤セチ。どの役も、物語を回すのに欠かせず、かつ少しでも演技が崩れたら成り立ちませんが、お三方ともに安定した演技で舞台を引き締めていました。
特に工藤セチ。キャロルを最初に見つけて保護しながらも引き離され、それでもキャロルを近くで守りたいという一心で志願兵となり敵の刃に斃れるというドラマティックな役どころで、しかもメンフィスのソロナンバーのバックダンサーまで務めるという大活躍ぶりでした。身体能力はかなり高いと思われます。
また、木暮ウナスは初舞台ということですが、それを全く感じさせない好演でした。
矢田ルカはかなり良い感じに動いて、主演を食わない程度の適度な見せ場を作って目立っていました。テニミュ出身だそうですが、そのうちまた別の東宝系演目でもお目に掛かれそうな予感がしています。

前回観たキャストで印象が変わったのは濱田アイシスです。プレビューではアイシス様の行動が強烈かつ残虐過ぎて、哀れさよりも怖さの方が心に残ってしまいましたが、今回は弟への偏執だけではない切ない愛情をしっかり客席で受け止めることができました。ただ、ストーリー上、アイシス様のミタムン王女への仕打ちがあまりにとばっちりすぎて、気の毒なことには相違ありませんが……。
今回は2階席だったので、舞台の床に落ちる照明の美しさをじっくり堪能できたのですが、2幕のアイシス様とキャロルの恋敵ながら祈りの心が重なり合うデュエットでの照明が本当に美しくて。この2人が呪う者・呪われる者として出会ってしまったのは本当に不幸であったと思います。

前回より更に良くなったと感じたのは浦井メンフィスです。彼の美点は前回も書いたので繰り返しになりますが、「俺様」な性格よりも、凛として真っ直ぐで清潔な熱血漢としての性格の方が前面に打ち出されているのは好感が持てます。
プレビューの時はあまり気をつけて観ていなかったのですが、サソリ毒にやられた後の苦悶の表情が妙に色っぽくて、浦井くん、こんな表情もできるんだ、とはっとしました。
また、姉上の愛を拒む場面では、前回観た時よりも少し「揺らぎ」が見えたような気がしました。濱田さんとは声質が合っているようで*1、デュエットのハモりが実に綺麗でした。

浦井くんのダンスには普段、かなりスピード感がある印象ですが、『王家』で何度かある殺陣の場面でのダンスアクションは、スピード感だけでなく優雅さを漂わせていたのが良かったです。
そしてこの演目のクライマックスの戦闘ダンスシーン、やっぱり盛り上げ方が宝塚的だと感じました。とにかく男役トップ(メンフィス)と二番手(イズミル)それぞれの魅力を匂い立たせ、対決を華麗に盛り立てている!振付は宝塚系の方ではなく、TdVにも出てらした新上さんなのですが、やはり演出の力が物を言っているのでしょうか。

そして、宰相様。温厚で思慮深い知恵者ですが根っこは明るくポジティブで少々茶目っ気も覗かせる人物です。キャラクター自体は決して山口さんに当て書きされたわけではないのに、まるで当て書きであるかのようにしっくりはまった役だと思います。
出番は決して多いとは言えませんが、アイシス様にひざまづいて暴走を止めようとする場面*2、キャロル奪還戦の前に「戦いは争いのためでなくあやまちを正し取り返すためのもの」と戒めつつ温かく主君を見送る場面、それからラストのこの演目のテーマソング的な「二人をつなぐ愛」の場面など、登場すると途端に舞台を包む空気が一変するのは恐ろしいことです。

ほかにも、開幕前・幕間の青を基調とした照明が美しすぎるとか、ナフテラの出雲綾さんがさりげなく良い味を出しているとか、メインキャスト5名(メンフィス、キャロル、イズミル、ライアン、アイシス)の重唱が流石だったとか、細かい部分で良いと思った所がいくつかありましたが、ただでさえまとまっていない感想がもっとまとまらなくなりそうなので、感想はこのくらいにしておきます。
願わくば、意外に評判の良いらしい宮澤キャロルを観たかったですが、もう手持ちのチケットも、もう一度リピートするだけの体力も残っていませんので(観劇はただ座って観ているだけで、何故こんなに体力を使うのでしょうか?)、来年の再演時の楽しみに取っておきたいと思います。

*1:浦井くんのファーストソロアルバム「Wonderland」でも1曲デュエットしています。

*2:この場面の宰相様の静かな佇まいにすっかりロックオンされていました。

『王家の紋章』プレビュー初日感想(2016.8.3ソワレ)

キャスト:
メンフィス=浦井健治 キャロル=新妻聖子 イズミル宮野真守 ライアン=伊礼彼方 ミタムン=愛加あゆ ナフテラ=出雲綾 ルカ=矢田悠祐 ウナス=木暮真一郎 アイシス濱田めぐみ イムホテップ=山口祐一郎

先月、こちらにて近況を報告させていただいてから約半月が経とうとしています。まだ体力も足の状態もとても万全とは行きませんが、それでもステッキの助けを借りながら、短距離ずつであれば歩けるようになりましたので、勇気を出して『王家の紋章』プレビュー初日のチケットを手に、帝劇へ出かけてまいりました。

『王家』の上演時間は休憩時間も含め3時間15分。正直、じっと客席に腰かけていることが体力的にきつくなかったかと言えば嘘になりますが、無事にカーテンコールまで見届けることができました。
ああ、ついに念願を果たしたよ、おめでとう私!……で終わらせたいところですが、実はお芝居そのものについての感想は少々辛口です。

音楽はリーヴァイさんの流麗で複雑な旋律が素敵ですし、役者さんはその旋律をきちんと歌いこなせて聴かせてくれる方ばかりです。歌の訳詞も、某ベスのように意味を通そうとする余り日本語の流れが不自然になるようなこともなく、原作漫画の世界を損なわない言葉で紡がれていると感じられます。
演出も、目まぐるしい場面転換を、客席に繋ぎ目を意識させることなく処理していくのは、ああ、流石オギーさんだと思いました。
各場面の構図やアクションも、とても綺麗に作られているという印象です。特に2幕の戦闘シーンの群舞や殺陣が、宝塚に通じるシャープさと華麗さを兼ね備えていて、観ていて爽快感を覚えました。

しかし、そうした美点がたくさんあるにもかかわらず、プレビュー初日の『王家』にはまだ作品として一つのうねりを作り出すようなまとまった力がないな、という印象です。
この作品には2.5次元ミュージカルの特性として、原作漫画のビジュアルを大きく裏切れない、物語として結末を迎えておらず独自解釈で締めくくるのが難しい、などの制約があるので、もしかしたらそれらが作品に縛りを加えているのかも?とも考えました。
ただ、実際にはそういう縛りのせいではなく、単純に一つ一つの見せ場が丁寧に作り込まれすぎたが故に、却ってそれらの見せ場を貫く勢いのようなものが弱くなってしまったのではないか?という気がしています。……抽象的にしか物が言えなくてすみません。

また、これはどなたかがTwitterで呟いていて、確かに!と思ったのですが、このミュージカルの主役たる王様メンフィスは、まずヒロインのキャロルが引き起こす事件を受けた上で、初めて行動を起こして個性を発揮する存在なのですね。つまり、キャロルがいないと輝けなくて、自ら物語を動かして行く存在ではないと申しましょうか。
しかも物語には、弟メンフィスを愛する*1アイシスの重たい愛と激しい嫉妬もどこまでも絡みついてくるのでした。
更には隣国のイズミル王子の復讐心と、未来への希望と英知の象徴たる「ナイルの娘」へのただならぬ執着心という大きい見せ場まであり……。やはり、見せ場はたっぷりとお腹いっぱいに用意されているのに、それらに一つの奔流になって客席を巻き込む力がまだ足りないように思われます。今後プレビューから公演を重ねることで、もっとうねり感のある演出になってほしいと願っています。

以下は印象に残ったキャストと場面の感想です。

浦井メンフィス。とにかく綺麗な王様です。マント捌きの美しさもたっぷり堪能できます。
メンフィスは大変に気性の激しい王様という設定なのですが、浦井メンフィスの場合は気性が激しいと言うよりは、王族としての強い責任感と誇り高さとを燃料にして、心が熱く燃え盛っている若い王様という印象です。
メンフィスの熱く真っ直ぐな性格を表現するのに、浦井くんの持ち味である心地良い響きの歌声に漂う何とも言えない清潔感は、大きい武器の一つとなっていると思います。

新妻キャロル。原作の熱烈ファンを自認するだけあって、キャロルの意志と感情に忠実過ぎるあまり「面倒くさい女」化する性格までこと細かに再現しているのは凄いです(誉めてます)。しかも歌唱力は申し分ないときています。
ただ、原作のキャロルには意志の強さと裏腹な、何とも言えずふんわりと甘いビジュアルが備わっているのですが、新妻キャロルにはふんわり感は少ないかな、と思います。この辺り、Wキャストの宮澤キャロルがどのように仕上げているか気になるところです。

濱田アイシス。……メイクなどの見た目も、ドスの利いた歌声も、アイシス様そのもので怖いです。
アイシス様は初っ端から色々過激な行動をやらかしてくれるので、物語上で恐ろしい女としての印象の方が強まってしまい、弟との恋愛が成就しない哀れな女としてのイメージが若干弱くなっているのが、少し残念です。

宮野イズミル。初見でしたが、登場した時のビジュアルと歌が期待以上に良く、おお!と思いました。ただ、演技の押し出しはかなり濃くてしつこいです。復讐心と執着心とでどこまでもねちねちと押しまくるので、観ていて時に疲れを覚えることもありました。

伊礼ライアン。劇中で全く報われないのが可哀想過ぎる……。開幕前の伊礼さんのコメントの随所に、劇中数少ない現代人役としての必死感が漂っていましたが、実際に観てその気持ちを理解できたように思います。少しだけ終盤のネタバレをしますと、金銀砂子が舞い、大変に煌びやかな場面が展開されるのですが、その中で1人だけ妹への思いに耽るライアン兄さんが誠に不憫でなりません。
役どころとしては多分、兄妹(姉弟)愛の観点でアイシス様と対比される存在だと思うのですが、その辺りの関係性が演出でもう少し強く見えてくると良いのかな、と思っています。

愛加ミタムン。印象に残ったというよりは、1幕で一旦退場した後幻影として意外と多くの場面に登場したのでちょっとびっくりしました。出番だけで言えば宰相様より多いかも?半焦げになった姿で踊らされるのは、もちろんイズミルの怒りを象徴した姿だとは思いますが、ライアン兄さんとは違う意味で不憫でした。

そして山口イムホテップ宰相様(何故ここだけ様が付く?)。キャロルが王宮に入れられた後に外遊から帰国するという設定なので、1幕での出番はかなり遅いです。しかも貢ぎ物を従えて若干挙動不審気味(^_^;)。
宰相様の出番は全体にそれほど多くありません。ソロは2曲程度だったでしょうか。おじいちゃんは今回は若者達の叱咤激励と応援と祝福に徹しています。
しかし、贔屓目抜きに宰相様が登場すると途端に場面がぐっと引き締まるのは不思議なことです。2幕前半でアイシス様に跪き、どうかお心をお鎮めになってください、と諫める場面や、ヒッタイトに出陣する主君に冷静沈着な助言を贈る場面などでの存在感は、この若者達がメインで動く作品にはなくてはならない芝居であると思います。
カーテンコールでもメインの若者達の温かいサポートに徹されていました。
なお、ファンとしては、山口さんのお声の調子が良さそうなことに安堵し、1ヶ月公演、どうぞご無事で!とただ応援するのみです。

カーテンコールで登場した帝劇初単独主演の浦井くんは……いつもの浦井くんでした(^_^)。彼の真面目で天然で温かな言葉を耳にして心なごんだ観客は、きっと私だけではなかった筈です。久々に観劇して身体に感じていた疲れが吹き飛びました。

ところでこのプレビュー観劇から2日後、正式な初日公演の後に早速、来年2017年4月の帝劇再演と翌月の大阪公演が発表されました。今回の公演が全日程即日完売とは言え、そんなに早く決めてしまって大丈夫なのだろうか?と少し心配を覚えていたりします。まあ、まんまと観に行くとは思いますが。

*1:古代エジプトなので近親結婚自体はタブーではありませんが、近親結婚が王家の血を弱めている事実は認識されているという設定です。

近況報告

ご無沙汰しております。

最後にこちらを更新した4月末以降の近況について、簡単にご報告いたします。

実は少し大きい病を得まして、そちらの手術と、手術の後遺症として発症した病の治療のため、これまでに3回ほど入院しました。
幸いにも病は初期の段階で発見され、2回に渡った手術も成功しましたが、再発を防ぐために現在も定期的に通院し、薬の点滴による治療を続けています。

このメインの病の治療だけであればまだ良かったのですが、悪いことに手術の後遺症を片足に発症してしまいました。
発症後に緊急入院し、その後の治療により危険な状態からは脱し、自宅療養に切り替わってはいますが、現時点でまだ長距離の歩行が困難な状態です。
更にもう片方の足にも、以前からの持病である坐骨神経痛を抱えていることから、なかなかリハビリも容易ではありません。少し近所を歩いてショッピングをしただけでたちまち足腰が悲鳴を上げます。

……というわけで、少々ハードルの高い現状ではありますが、せめて最寄り駅から帝劇やクリエに歩いていけて、更に劇場で3時間過ごす体力と脚力は取り戻したいと願いつつ、療養生活を送っています。
本業の方は長い休暇をいただいたままです。

(2016年7月14日追記
その後、本業については、お陰様をもちまして勤務条件付きで何とか復帰の目処が立ちました。不安は山ほどありますが、幸い上司など周囲の方々にも事情を理解いただけているので、身体と相談しながら少しずつブランクを取り戻していきたいと思います。
追記ここまで)

好きこそ物の上手なれとは申せど、現実に自分の思うようになってくれない身体を嘆き、時に苛立ちを覚えることもあります。
それでも、入院前に抱いていた望み、つまり「8月の帝劇行き」については未だに捨てておりません。
元の身体と同程度の体力に戻るのは難しいかも知れませんが、少しでも、自分の身体の限界を広げたいと願い、格闘する毎日です。

病気になってから、身体に何事もなく、どこへでも自分の自由に出かけられる日常というのがいかに宝物であったかが分かりました。その日常を少しでも取り戻すこと、それが当面の目標です。

以上、近況のご報告でした。

『エドウィン・ドルードの謎』感想(2016.4.24マチネ)

キャスト:
支配人/トーマス・サップシー市長=山口祐一郎 エドウィン・ドルード=壮一帆 ローザ・バッド=平野綾 ネヴィル・ランドレス=水田航生 ヘレナ・ランドレス=瀬戸カトリーヌ クリスパークル牧師=コング桑田 ジョン・ジャスパー=今拓哉 プリンセス・パファー=保坂知寿

エドウィン・ドルード』、クリエ公演2回目の観劇にしてマイ楽です。
本日の座席は2列目下手ブロックでした。最前列ではないので流石にかぶりつきとはいきませんでしたが*1、半径3m以内で支配人さんが立って演技したり階段に座ったりすると、やはり緊張しますね。
また、この席で初めて、2幕で壮さんが披露する大阪のオバチャン風アニマルプリントコスチュームを至近距離からじっくり眺めましたが……あのコテコテな柄を抜群のスタイルでしっくりと着こなしている壮さんは凄いです。
そして、
「あの虎バッグ、ふかふかしていそうで可愛い、欲しいかも」
とちらりと思った自分がおりました。ただ、実際に手元にあっても使い途に困りそうではあります。

今回、初日に観た時よりもだいぶカンパニーが温まっていました。何よりも開演前に前説を担当するお二人が流暢になっていたのがその証拠です。

まず登場した支配人さんは、進行のテンションなどが初日と全く変わらないのは凄いなあ、でももしかして、このままお遊びは周囲にお任せ?……と思っていたら、とんでもなかったです。
まさか1幕で、にゃんにゃんと鳴きながら猫ポーズでじゃれてきた綾にゃんと、にゃんにゃかにゃんと言いながら激しくじゃれ合う祐にゃんが見られるとは。ありがとう、綾にゃん!

そして、この演目。20日前に観た時よりも……どうでも良い箇所がパワーアップしていました(^_^;)。
例えば1幕の墓地の場面での横山さんの「犬神家の一族」のモノマネ。初日よりも無闇にディテールが充実して、「細かすぎて伝わらないモノマネ」状態になっていました。あまりの細かすぎて笑える熱演に、ついに共演のジャスパー先生が脱いだ帽子に突っ伏して悶絶する羽目に。まさかこの「犬神家」が後々まで引っ張られるとは。また、素から帰ってこられなくなりかけていたジャスパー先生の立て直しに「号泣県議のモノマネ」がまさかこんなに有効になろうとは。元々他のコメディー作品でも今さんの面白真面目センスは光っていましたが、今回のジャスパー先生は疑いなく今さんの更なる新境地を開拓したと思います。
更に1幕で何度か牧師様がスポットを外れて立ち、その都度支配人さんが正しい立ち位置へ押しやるギャグがありますが、2回目に登場した支配人さんの頭には黒衣の頭巾が!本体は普通の衣裳なので、黒頭巾を被っていても当然丸わかりなわけですが。何故ここだけ黒頭巾?(^_^;)

というわけで、自分は北千住公演を含めると既に3回目なこともあり、すんなりとエドウィンの世界を楽しんでいますが、実際の所、観客がこの世界に入り込めるかどうかは、福田さんの笑いの仕掛けにツボれるか否かにかかっていると思います。この演目だけでなく、WOWOWで放映が始まった『トライベッカ』などでもそうなのですが、大抵のお笑いに「つかみはOK」で入り込める私ですら、あの笑いの世界には時々いたたまれなくなることがありますので。
また、今回、幕間に「前方列センターなのに眠ってしまった」という声を聴いて「えええ!?」と心の中で驚いていたのですが、そう言えばプレビュー初日の時に1幕のギャグの応酬がかったるいと感じたような、と思い出したりしていました。

ただ、このミュージカル、本当に曲が良いのです。しかも意外と難易度が高そうで。例えばローザのソロなどは「作曲家の偏執愛の産物」という設定のフィルタを外すと切ない愛の歌である上に、かなり高い音域を要求していますし、笑いのセンスと高い歌唱力を両方備えた役者さんでないと、この演目を歌い演じきることは難しいと思います。
自分のお気に入りのナンバーは、1幕のパファー姐さんの仇っぽいソロ(含む早口言葉)、ローザとジャスパー先生の緊張感溢れるデュエット、支配人さん(市長さん)とジャスパー先生の違う意味で緊張感をもたらすダンサブルなデュエット、バザードのソロ、そしてエドウィンらにより披露されるラストの曲辺りです。
ところで2幕のローザとジャスパー先生のデュエットがどうしてもワイルドホーンのパロディに聞こえてしまうのですが、私だけでしょうか。

……この辺りで本編の感想に戻りますと、今回は「変態×カレー」に全てを持って行かれたという印象です。
これまでの2回、自分が投票した相手が犯人になった試しがありませんでした。初回観劇のプレビュー初日ではカレーの人に投票しましたが犯人は婚約者さん、2回目のクリエ初日では阿片窟の姐さんに投票しましたが結果はカレーの人の弟で。
今回、「実はやっぱり変態が犯人でした」が見たくて投票しましたが、選ばれたのはカレーの人でした。ちなみに2位は阿片窟の姐さんで、変態さんは3位でした。
カレーの人の犯人ソロ曲は、歌詞の内容は非常にシリアスなのに、過度のカレーアピール(食品サンプルのカレーまで登場!)と怪しいインド舞踊の結果、大爆笑に終わっていました。これ、プレビュー初日に見なくて正解だったかも知れません。

犯人ソロの後は「悲しい物語をハッピーに終わらせるための」ラブカップル選出なのですが、「悲しい物語」の単語に全く説得力なし(^_^;)。しかも女性サイドの投票で「ヘレナが良いと思う人!」とコールされるべき所が、「もう一度コントを見たい人!」とコールされる始末。
投票の結果、圧倒的多数の支持により、変態さんとカレーの人がカップルとして選ばれました。支配人さんが「では、変態カレー!」とコールした時点で既に客席は笑いの渦へ。
ラブカップルの歌詞の内容をあまり覚えていないのですが、とにかく「カレーが好きです!」の一念で、「ファイト!一発!」のCMの如き力強さで2人が意気投合して、最後に「犬神家!」とカップルで足上げ開脚を決めたことだけは確かです。これも愛、あれも愛、たぶん愛、きっと愛、と自分の中で懸命に言い聞かせながら爆笑しておりました。

歌い終えた後の愛のダンスの場面では、何故かカレーの人が支配人さんを誘導し、変態さんと背中合わせに立たせました。何をするのかと思えば、両腕を広げて支配人さんにもたれた状態の変態さんを、カレーの人が前方からおもむろに両手でコチョコチョ。そして背後からは支配人さんがぴんと背筋を伸ばして立ったままで変態さんの腋の下をコチョコチョ(!)。変態さんは悶絶状態に陥っていました。
誰得なんでしょうね、この場面(^_^;)。ちなみに私はあのビジュアルだけでごはん3杯ぐらい行けそうです。

この「変態×カレー」で爆笑エンド、でも悔いは残らなさそうでしたが、きちんと最後に王道のハッピーエンドで締めてくれるのが、『エドウィン』の良いところです。主役も脇役も、ノーマルも変態も、そして民族の違いを問わず、生きていることの素晴らしさをハッピーに歌い上げることで、観客の思いをある一定の救われる場所に導こうとするこの作品の姿勢に好感が持てます。

なお、あまりにカレーのすり込みが強烈であったため、当日夜のわが家の食卓にはレトルトですがカレーが上ることになりました。私も「カレーが好きです」。

……最後に、私事ですが、体調の都合でしばらく休養に入ることになりました。メンタル面ではこうした観劇感想を書けるぐらいにはとても元気なのですが、身体の方がそれなりに寄り始めた年波には勝てず、ちょっとしたガタが来てしまったようです。本業も少しお休みをいただいて治療に専念いたします。
と申しましても、テレビは見られる状態ですのでWOWOWの『トライベッカ』や舞台中継などで興味のあるものはできるだけ追いかけるつもりです。もしかしたらこちらにも視聴感想をしたためるかも知れません。また、8月の『王家の紋章』も観る気満々でいます。待ってろよ帝劇!そして「演劇の巨人」!

*1:最前列の皆様が支配人さんにハイタッチするのを羨ましく眺めておりました。

『アルカディア』感想(2016.4.17マチネ)

キャスト:
バーナード・ナイチンゲール堤真一 ハンナ・ジャーヴィス寺島しのぶ セプティマス・ホッジ=井上芳雄 ヴァレンタイン・カヴァリー=浦井健治 レディ・クルーム=神野三鈴 トマシナ・カヴァリー=趣里 ガス・カヴァリー/オーガスタス・カヴァリー=安西慎太郎 クロエ・カヴァリー=初音映莉子 エズラ・チェイター=山中崇 ブライス大佐=迫田孝也 リチャード・ノークス=塚本幸男 ジェラビー=春海四方

シアターコクーンで上演中の『アルカディア』を観てまいりました。
英国の貴族の荘園「シドリー・パーク」を舞台に、19世紀初頭に館で起きた出来事の真相を、現代の文学研究者や貴族の子孫達が解き明かそうとする物語、と書くと一見ミステリのようですが、実際にはミステリはこのドラマを構成する一要素でしかありません。
英国製のストプレ、しかも登場人物は貴族社会に生きる人々と、詩人バイロンなどの研究の世界にどっぷり浸かった人々ということで、台詞のそこかしこにコテコテの英国文化臭が漂っていました。白状しますと、そうした専門的かつ高尚な台詞の応酬に途中で頭がこんがらがり寝ていた時もありました。
現代の人々は、文献調査に資料研究、そして議論を積み重ねて過去の真相を追究しようと試みます。ただし、実のところ真相は文献や登場人物の発言に現れない部分に隠されているというオチですので、例えばバイロンを知っていても知らなくても作品を楽しむことは可能です。

物語は、とにかく切なくて辛いものでした。途中には笑いどころもこまめに挿入されていましたが、終盤で現代の人々の口から断片的に語られた、19世紀の人物達が迎えた悲しい顛末と、19世紀のメインの2人が最後に取った行動から、観客に(全てではないにせよ)愛の真実とその後の2人の運命とが示唆され、実に痛々しい思いがもたらされます。更にそこに、現代の登場人物のうち2人の言葉にされなかった愛の真実が明らかにされ、ピアノによるワルツの調べとともに切ない愛の二重奏が奏でられて物語は幕を閉じます。

この物語においては、
「過去の出来事には、いくら貴重な文献を入手して調査研究を極めても、その限りからは決して見ることのできない真実がある」
ことが語られています。私は本職で図書館に関わる仕事をしているのですが、この展開は図書館人としては少し寂しいものがあります。
登場人物達の台詞にもあるように、起きた事象を逆回ししても過去に発生した熱量は元に戻せない、言い換えればその時に発せられた熱量はその瞬間にしか体感できないので、過去の出来事の瞬間の真実はその時その場にいた人間しか知り得ない、ということであるとは思いますが、図書館の重要な仕事の1つとして「過去に起きた事象を記録したものを未来に残し伝える」というものがあります。文献で伝えられない真実もある、というのは分かっていても深い諦観を覚えずにはいられません。

ちなみに自分は文学的知見があまりないので、逆回し云々の場面では朝ドラ『あまちゃん』で数々の試練の末に震災で心に傷を負ったユイちゃんの「アキちゃん、逆回転させてよ!」をひたすら連想していました。もちろん普通の人間であるアキちゃんは運命を逆回転することはできない代わりに、未来へと向けてユイちゃんほか故郷の仲間達を牽引する役割を担うことになったわけですが。
人間は常に未来に向かってしか生きられない生き物で、それ故にラストでワルツを踊ったうち19世紀の人物の1人は、恐らくは自らの手により幸福の絶頂で時を止める道を選び、もう1人は自らの心を閉じ込めて隠遁者としての余生を辿ります。一方の現代の2人がどのような宿命を辿るかは、ただ想像するしかありませんが、少なくとも彼らには時を止める理由は存在しないと思います。

図書館人としては寂しい展開、と書きましたが、一方で楽しい要素もありました。
堤さんと寺島さん演じる現代の研究者バーナードと作家ハンナとが、19世紀に家庭教師セプティマスに決闘を申し込んだ「詩人」チェイターの来歴を探るやり取りをする1幕の場面で、
大英図書館の著者目録に植物学者のチェイターなら載っていたが、詩人のチェイターは載っていなかった」
と語る場面があり、おお、こんな所に大英図書館が!ちゃんと図書館での文献調査にも触れられている!とひっそり喜んでいました。
しかもこの件、2幕でチェイターの後半生の真相に繋がる伏線として、しっかり回収されていました。良かった、ちゃんと図書館が役に立ってくれたよ、と嬉しい限りです。

キャストについても少しだけ語っておきます。
井上くんのセプティマスは、正にはまり役だと思いました。高い知性と気品を持って肉欲と精神的な愛を完全に切り離し、超然としつつもどこかで単純に割り切れない感情を抱える青年。何でこういう役どころがこんなに似合うのでしょう。滑舌も明晰に、お嬢様の憧れの王子様を適確に好演していました。
そのお嬢様、トマシナを演じた趣里さんは、もう少し気品があっても良かったように思いますが、貴族の子女らしからぬ知的閃きとエキセントリックさに溢れた性格という設定なので、あれはあれで良いのかも知れません。10代の少女特有の無邪気さと頑なさとが終盤の展開に繋がって、何とも悲しいのです。
トマシナの魂は現代のカヴァリー家の三兄弟にそれぞれ何らかの形で受け継がれているわけですが、妹と弟に比べると、浦井くんのヴァレンタインは何だか報われていない感が強いです。高い知性、そして「亀」という、セプティマスと共通する2つの要素を持っている以上、それもまた運命なのでしょうか。
これはあくまで個人の印象ですが、演出の栗山さんが使い方の勘どころを握っているのは井上くんであって、浦井くんは微妙に勘どころから外れているように感じられます。浦井くんは確かに怜悧で無邪気で偏屈で不器用な変人を演じることに長けていますが、今回はもうひと匙、もうひと声、な印象を受けました。
どちらかと言えば安西さんの演じたガス(現代人)とオーガスタス(19世紀人)の方が従来の浦井くんのイメージには近いと思いましたが、様々な役への挑戦は役者としてのキャリアアップには必要な経験ですし……難しいですね。
堤さんのバーナードは研究の功を焦るあまり詰めの甘いまま暴走してしまう上、お嬢様にも手を付けてしまうとんでもない奴なのですが、どこか憎めない所に彼の巧さを感じました。バーナードの顛末はどこかSTAP細胞事件を連想させるものでしたが、この作品が書かれたのは1993年なので全く関係ありません。もっとも一旦認められた学術論文の取り消しは昔から時々あったことなので、この物語のバーナードの運命もまた「良くあること」の1つに過ぎないのかも知れません。
寺島さんのハンナもまた、はまり役であったと思います。ひたすらバーナードとクールに舌戦を繰り広げる姿や、ヴァレンタインの求愛に困惑する表情を見せ続けた後での、終盤の「ワルツ」での無邪気な笑顔の美しさは忘れられません。
ほかの皆様もそれぞれに素敵でしたが、今回は大好きな神野さんが観られたのは嬉しかったです。英国貴族の気品やプライドから、セプティマスに見せたよろめきに至るまで、観ていてぞくぞくとさせられました。

いつも観る舞台はミュージカルが多いですが、やはりたまにはこうしてストプレも観て違う刺激を受け、観る眼を肥やすのも大事ですね。

次の観劇は来週の『エドウィン・ドルードの謎』。その後はしばらくお休みをいただく予定です。

『エドウィン・ドルードの謎』初日感想(2016.4.4ソワレ)

キャスト:
支配人/トーマス・サップシー市長=山口祐一郎 エドウィン・ドルード=壮一帆 ローザ・バッド=平野綾 ネヴィル・ランドレス=水田航生 ヘレナ・ランドレス=瀬戸カトリーヌ クリスパークル牧師=コング桑田 ジョン・ジャスパー=今拓哉 プリンセス・パファー=保坂知寿

シアタークリエにてミュージカル『エドウィン・ドルードの謎』初日を観てまいりました。
上演時間は休憩込みで3時間。プレビュー後に削られたと思しき場面もあり*1、テンポは全体に良くなっていたという印象ですが、それでも上演時間は長い方だと思います。初日は18時30分開演、21時30分終演というかなり遅い時間でしたので、終電に間に合わなくなるのかカーテンコールの途中で抜けていくお客さんがちらほらいらっしゃいました。

今回、プレビューを観て既に全体の構成が分かっていたためか、前回よりも肩がこらずに余裕を持って楽しめたように思います。
キャストの皆様も、「初日」や「思いがけない展開」への緊張感こそあるものの、どこか適度に力が抜けていて良い感じになっていました。
こういう一見ゆるゆる、ぐだぐだですが進行はきっちりと管理されている必要があり、崩しすぎても真面目すぎてもいけないという内容の演目を日本向けに上手く料理した演出家さんももちろん凄いですが、その演出に応えるキャストの力量もまた素晴らしいと思います。

皆様それぞれに良かったですが、特に印象に残ったのは楽屋が綺麗に整頓されていることでミュージカル界で有名な*2、今さんでしょうか。ローザへの横恋慕やら何やらを色々こじらせて変態度がエスカレートした紳士役を楽しみながら熱演している雰囲気が伝わってきて、観ている側も楽しかったです。
あと、知寿さん。粋であだなダンスから名探偵コナンのパロディの早口言葉までこなす「プリンセス、パッファー!」の巧みさで舞台をピリッと引き締めてくれています。
逆にユルいお笑いの担当は、TdVの初日にアドリブを飛ばしすぎてプロデューサー氏に怒られたというコングさん。何故かスポットライトを避けて立ってしまう牧師様は、舞台稽古で台詞を噛みまくってヘレナにマジ怒りされていたそうですが、今回めでたくヘレナと愛のデュエットを熱唱していました。もっとも「歌稽古以来」の組み合わせだったそうで、「舞台稽古で噛みまくった」と突っ込まれたそばから早速歌詞を噛んでいましたが(^_^;)。

この演目では、プリンシパルにもアンサンブルにも等しくスポットが当たるのが魅力の1つですが、今回は高原さんのバザード(牧師の下で働く役者・演出家志望の青年)が大活躍でした。
実はなかなか名曲な「主役は他の人」でも堪能させてもらいましたし、後半は探偵姿でも楽しませてくれました。

そしてエドウィンでは観客にもスポットが当たるのでした。そういえば客席参加のイベントのうち一番初めに行われ、観客が舞台上に立つゲームで、初日に舞台に立ちその投球コントロールの見事さで客席を爆笑の渦に巻き込んでくれた方は、どうも娘役のジェンヌさんでいらしたようなのですが、いかんせん宝塚に詳しくないのでお名前が分からず残念です。

……あ、山口さんのことを書くのを忘れていました(何と言うこと!)。「シルクハットを被ったら身長が2m超える」かの方があれほどまでに舞台で走り回り、踊りまくり、そして様々な声色でしゃべくる演技を披露する機会は後にも先にも滅多にないと思います。もちろん歌もありますが、圧倒的に地の台詞の方が多いです。山口さんと言えば歌声を期待する向きが多いかも知れませんが、台詞の聴き取りやすさ、キラキラと輝く豊かな表情、そして決して軽快ではないながらも激しいダンスステップに果敢に挑戦される姿勢など、歌以外にも魅力はたくさんあるんだぞ、ドヤァ!という気持ちでいっぱいです。
最後にカーテンコールで、客席を手で静めた上で、でっかいウィスパーボイス(と書くと嘘のようですが本当にそのような発声でした)で「ありがとうございました!」とご挨拶するお声に、万感の思いがこもっているように感じられました。

ちなみにこの演目においては「犯人」は投票制で決まるため、その日の犯人の名を書いてもそんなにネタバレにはならないと思いますので、書いておきます。
今回の犯人はネヴィルでした。ラストのカップルのデュエットは前述のとおりヘレナと牧師様です。
前回(プレビュー初日)は、犯人=ローザ、カップルデュエット=ヘレナ&ダードルズという組み合わせだったので、意外と組み合わせは変わるものだな、と実感しました。
一度で良いので「実はサスペンスの法則に反してジャスパー氏がやはり犯人だった」という展開も観てみたいものです。

最後に、『エドウィン・ドルードの謎』というお芝居には「ウィットに富んだ」という言葉が最もふさわしいと思います。ただ、観る自分自身が即物的でウィットの欠片も無い人間なので、気の利いた言葉でこのお芝居を括ることができないのが惜しいところです。あまりノリがよろしくなくて申し訳ございません。

*1:投票集計中のアンサンブルさんのコントなど。

*2:という支配人の台詞があるのです。

『エドウィン・ドルードの謎』プレビュー初日感想(2016.3.27マチネ)

キャスト:
支配人/トーマス・サップシー市長=山口祐一郎 エドウィン・ドルード=壮一帆 ローザ・バッド=平野綾 ネヴィル・ランドレス=水田航生 ヘレナ・ランドレス=瀬戸カトリーヌ クリスパークル牧師=コング桑田 ジョン・ジャスパー=今拓哉 プリンセス・パファー=保坂知寿

エドウィン・ドルードの謎』のシアター1010でのプレビュー初日を観てまいりました。
率直な感想から申しますと、プレビューはあくまでプレビューであって、まだできあがった作品ではないのだと実感しています。
全体的にテンポがまだ良くないという印象です。支配人殿と他のキャストとの間に繰り広げられるボケツッコミや、壮さんの軽快な関西弁混じりのヅカネタ、平野さんのアニメネタや今さんの変態ネタ、そして山口さんの赤いマントの○○ネタなど、一発ギャグは笑えるのですが、一つ一つのネタが濃すぎて全体のテンポを間延びさせてしまっている気がしました。
あと、Twitterなどで観測していて出てくる「ネタが分からん」というのは私自身はあまり気になりませんでした。
ただ、途中で、原作者ディケンズがこの物語を書いた時に『エドウィン・ドルードの消失』とかエドウィン・ドルードの復活』エドウィン・ドルードの逃亡』とか『エドウィン・ドルードの失踪』*1とかのタイトルも考えていたんですよ、という台詞が出た時、
「それって涼宮ハルヒじゃないの?」
と思いましたが、あれが史実だったのかハルヒネタだったのかが今一つ良く分からず悩んでいます*2 *3
それから、パファーが支配人に「支店長」と呼びかける場面がありましたが、あれが単に言い間違いだったのか、あるいは元ネタがあったのかがよく分かりませんでした。

作品の構造としては、例えば、
山口祐一郎演じる劇場支配人ヤマグチが、人手が足りず仕方なく市長を演じる」
「板の上で『客席の投票や拍手に右往左往させられるカンパニーを演じている』筈の役者達が、思わぬ展開にいつしか素でうろたえていく」
のような二重三重の構造で虚実の境目を曖昧にするという試みはとても面白いと感じました。
山口さんについて語りますと、常々山口祐一郎という役者には虚実の境目が曖昧で、時々簡単に踏み越えてしまうという印象を抱いていますが、今回の舞台では本当に軽々と踏み越えていたように見えました。もちろんあくまで「そう見えた」だけで、実際にはあのウザ可愛い支配人を演じ切るには大変な熱量とテンションとを必要としていると思われますが。
他の役者さん方も実に膨大な体力と強靭な精神力を要求されていると思います。特に今さんとか(^_^;)。そして今ジャスパーに追い回される平野ローザもなかなか大変そうです。

音楽は、あまり記憶に残っていないのですが、高原紳輔さん演じるバザードのソロナンバーが、意外にも!良かったです。(演出家さんが一緒にお仕事している)StarSに入りたいネタは個人的にはどうでも良いのですが、このお芝居ではプリンシパルとアンサンブルの別を問わず全てのキャストに遍くスポットが当たるという事実を象徴する一曲でもあります。
このナンバーの時に支配人殿がバザード(を演じる役者)に、
「デビューから主役を演じる役者など滅多にいない」
と語りかける場面があるのですが、その滅多にいない役者(しかもタイトルロール)の1人だった山口さんに語られてもあまり説得力がないねえ、と思いながら聞いておりました。

このお芝居については特にネタバレは避けたいと考えていますが、固有名詞を出さずに差し障りない範囲で少しだけ。
1幕に異色の男性ペアによるダンスシーンがあります。普通の組み合わせであれば流してしまって良い場面ですが、私的には衝撃かつ笑撃でした。
また、犯人投票など物語の展開組み合わせパターンが「288通り」ある、とチラシなどに書いてあるのを見て、何故そんなに?と思っていましたが、組み合わせを決める分岐点が劇中にたくさん用意されていました。数字に弱いのでパターン数の掛け算はできませんが、分岐点は概ね次のとおりだったと思います。

キャスト一同の挙手による決定(2分岐)→客席からの拍手(8分岐)→客席からの投票(7分岐)→客席からの拍手(4分岐(7分岐かも))の結果と拍手(6分岐)の結果によるペア決定

途中の客席投票では、自分も最初投票しようとしていた登場人物が選ばれて、予測通りな感がありましたが、最後のペアについては「稽古場で出たことのなかった初の組み合わせ」ということで、漂うやけくそ感も相まって客席の爆笑を呼んでいました。
ちなみに客席投票は幕間に行われると思い込んでいましたが、上記の分岐が全て「2幕後半」で行われる関係上、正に上演中に行われます。投票券はアンサンブルキャストや係員が巡回してきて回収します。シアター1010は2階席もあるので回収に人手が必要ですが、ほとんどが1階席のシアタークリエであればもう少し手早く回収できるのではないかと思われます。

というわけで、ちょっと冗長な感じは否めなかったものの、無事プレビュー初日が幕を開けました。
カーテンコールでは演出家の福田さんが客席から呼ばれて登場し、座長山口さんとハグしていました。
シアタークリエでの本公演では、より良い作品になっていることを心より願っております。

*1:Twitterでご指摘をいただいたので修正しました。元の脚本でもタイトル候補への言及があるそうです。そして修正前のは微妙にネタバレかも(汗)。

*2:ハルヒ自体にも元ネタがある筈ですがハルヒシリーズは未読です。

*3:追記:前出のとおり史実かつ脚本準拠で、ハルヒは無関係です。作品パンフのコラムにも「ディケンズがこの小説の題名として17の候補を考えているのだが(中略)「蒸発」「失踪」などの語が多く見られ、結局「謎」に落ち着いた」という解説がありました。

『ジキル&ハイド』初日感想(2016.3.5ソワレ)

キャスト:
ヘンリー・ジキル/エドワード・ハイド=石丸幹二 ルーシー・ハリス=濱田めぐみ エマ・カルー笹本玲奈 ガブリエル・ジョン・アターソン=石川禅 サイモン・ストライド畠中洋 執事プール=花王おさむ ダンヴァース・カルー卿=今井清隆

有楽町の東京国際フォーラムCホールにて、『ジキル&ハイド』初日を観てまいりました。
初めから初日を狙ってチケットを取ったわけではなく、日程の都合でチケットを確保したらたまたま初日でした。

国際フォーラムはロビーの空間に余裕が少ないので、開場間もなくは客席行きエスカレーターの待機列と物販の待機列が重なってしまい、軽い渋滞が発生していました。
加えて開場から開演までが僅か30分という時間設定は慌ただしいし、人もめちゃ混みだしで何だかなあ、とも思いましたが、空間に余裕がない所に1時間前から入場させても観客が困るだろうし、まあ仕方ないだろう、と思いながら物販の列に並ぶなどしていました。
空間の余裕の少なさは専用劇場ではないからだろうか?とも思いましたが、赤坂ACTシアターなどでも不満を抱いたことがあります。この辺りの話を語っていると長くなるのでまた次の機会にいたします。

さて今回、広いCホール2階席からの観劇なのに、オペラグラスを持参するのを忘れてしまうという痛恨の失敗をしてしまいました。このため、以下は役者さんの声とアクションだけが頼りで、細かい表情などは見られていない状況下での感想です。ご了承ください。

石丸さんは、再演ということもあり、ヘンリーもハイドも前回以上に身体にしっかり染み込み、板の上で彼らとして生きていると言う印象を強く受けました。

ヘンリーが新薬の臨床試験を急いだ理由は何よりも父上の病*1の治療のための筈なのですが、今回のヘンリーの行動の動機には何となく、父上のためというよりは「自分の画期的な研究成果の有意性を認めさせる」という目的の方が強く根ざしているように思われます。
ヘンリーの実父やダンヴァース卿への態度などから、彼のファザコンに近い心境は感じられ、父上達に認められたくて頑張っている所もあるのだろうとは分かります。ただ、石丸ヘンリーの力強い台詞回しと歌声からは、承認欲求よりも科学者として真実を知りたいという思いの方が強く勝っているように感じられました。

そういうこともあってか、今回のヘンリーに対しては、
「どんな運命になろうとも、それは自分の選んだ道とその結果なのだから、仕方ないでしょ?」
とつい厳しい思いを抱いてしまいました。あの薬で悲劇が起きれば起きるほどに、これが貴方が親しい者達の憂慮を押し切る程に強い思いでやりたかったことでしょ?落とし前はつけないとね?と妙に上から目線で言いたくなってしまって困りました。

石丸さんの歌と演技についてもう少しだけ語らせてください。
「時が来た」の語りながらすっと歌に入って行き徐々に盛り上げていくところ、ヘンリーからハイドが生まれ出た後の「生きている」での生命の爆発と暴走、そして「対決」での二役のスイッチ切替等々、ひたすら「凄い」としか言いようがありませんでした。
ただ、「罪な遊戯」はやっぱりあまり色気はないと感じました。少なくともかつての鹿賀さんのハイドのような相手をじわじわ陥落させるような手練手管はないという印象です。
しかし、石丸ハイドと濱田ルーシーとの間からは、ハイドがルーシーを支配し、相手の身体を痛めつけ、同じ時を共有しているのに、決して心は手に入れられていないもどかしさ、じれったさが漂ってきていました。鹿賀ハイド&マルシアルーシーとはまた少し色合いの異なる見せ場を作り出すことに成功していると思います。

その濱田ルーシーについてですが、今回、観る側としてはどちらかと言えばルーシーに感情移入しながら観ていました。娼婦として苦しい生活を送り、ハイドの暴力を恐れ、ヘンリーのささやかな優しさと希望を信じてすがろうとする一方、心のどこかでハイドのもたらす背徳的な快楽にも魅惑されているルーシー。この、人の弱さと善意とを体現したようなルーシーに、濱めぐさんの歌良し、姿良しの好演もあって、すっかり惹き付けられました。彼女の力まない発声と鍛え抜かれた身体は努力と才能の賜物ですね。
ハイドとルーシーの関係は最悪の惨劇で終わりを迎えてしまうわけですが、もしかすると彼らの間には心に問題を抱えた者同士の共依存的な関係もあったのかも知れません。
アターソンがルーシーに「逃げろ」と告げて去る場面では、その後に起きる惨劇を知っている観客としては「アターソン、置いてかないで連れて逃げてあげて!」とつい願ってしまいました。でもあの時点ではアターソンはハイドの暴力・殺戮行為までは知らないのですよね。薄々察していたかも知れませんが*2
それでも、ルーシーは悲惨な最期を迎える直前の束の間とは言え、
「私のように卑しく蔑まれてきた者でも、新たな人生への希望を持っていいんだ」
と思えただけ幸せだったのでしょうか。考えると辛いので、できればそういうことにしておきたいところです。

アターソンは、今回は禅さんが演じられていました。
ジキハイの重く哀しい物語の中で、特に1幕では禅アターソンの軽妙さと親友への優しさに救われていたような気がします。あの柔らかい優しさがあるからこそ、2幕でアターソンがハイドの正体を知って以降の悲劇性が数倍増しになっていたと思います。
なお、余談ですが、前回2012年にジキハイを観た時の感想で、ルーシーのソロ「連れてきて」での吉野圭吾さんの「踊るアターソン」について書いていたのを見つけました。今回、禅アターソンは特に踊ってはいなかったので、2012年のあれはやはり吉野アターソンに当てたスペシャル演出だったと思われます。

エマ役は、玲奈ちゃんの前回からの続投でした。
今回の玲奈ちゃんエマ、これまで観たどのエマよりも(と言っても本人の前回のエマも含め、2人しか観ていませんが(^_^;))、芯が強く無償の愛で包み込んでいて大人な感じで良かったです。発声も強すぎず聞きやすくなったと思います。欲を言えばファルセットがもう少し綺麗に出て欲しい、とは思いますが。
彼女のナンバーでは、ヘンリーとの甘々なデュエットも良かったですが、ルーシーとのデュエット「その目に」での凛とした強さが印象に残りました。
考えてみれば、20歳そこそこの頃から彼女を観ているので「玲奈ちゃん」とか言ってますが、この文章を書く前に実年齢を調べて「がーん」となりました。 もう彼女もアラサーの大人の役者さんなのですよね……。

他のアンサンブルも含めたキャストの皆さまも素晴らしかったです。今井清隆さんのパパ役(ダンヴァース卿)のこれ以上はないはまりっぷり、宮川浩さんの大司教の嫌らしさ、阿部裕さんの将軍の横柄さ、林アキラさんの小物っぷり、そして2幕のトップバッターなどを担当する麻田キョウヤさんの新聞売りの歌の確かさ、等々。 特に新聞売りは歌、特に高音が確かでないと舞台が崩れるため、歌ウマな人必須なので*3、今回も麻田さんで本当に良かった!と思いました。

今回初めて気づいたのですが、2幕のフィナーレである結婚式の場にはルーシーを除くキャスト全員が登場しているのですね。元々キャスト数がそれほど多くないこともありますが、それでカーテンコールへの移行と全員のお出ましがとてもスムーズなのだと思います。
カーテンコールには、演出家の山田さんと、作曲家のワイルドホーンさんが登壇し、それぞれにご挨拶されていました。
最後の追い出し演奏があり、もう一度だけキャストのお出ましがあった後に終演となりました。
山田さんのご挨拶によれば「まだいくつかダメ出しがある」そうですが、初日でこれだけ完成度が高かったら楽日の完成度は凄いことになるんじゃないかな、と個人的には思いながら劇場を後にしました。

*1:認知症あるいはアルツハイマー病などと想像していますが、これはあくまで想像です。

*2:ヘンリー自身がハイドの全行動を把握しているわけではないので当然ではあります。

*3:歴代の新聞売りキャストは阿部よしつぐさん、寺元健一郎さんです。

『ダンス・オブ・ヴァンパイア』名古屋大千穐楽感想(2016.1.17)

キャスト:
クロロック伯爵=山口祐一郎 アルフレート=平方元基 サラ=神田沙也加 アブロンシウス教授=石川禅 ヘルベルト=上口耕平 シャガール=コング桑田 レベッカ=出雲綾 マグダ=ソニン クコール=駒田一  ヴァンパイア・ダンサー=新上裕也

ありがたくも、名古屋の愛知県芸術劇場大ホールで上演された『ダンス・オブ・ヴァンパイア』の大千穐楽を観てくることができました。

大楽では女性ヴァンパイア・ダンサーの松島さんが怪我のため休演、と掲示されていました。大阪公演で負傷されたのだろうか?と思っていましたが、後で演出家の山田さんのブログを拝読したところ、どうも大阪公演も休演されたようです。

座席は同行の友人のお蔭で1階の下手サブセン10列以内という良席で観ることができました。音響は、オケや歌声の聞こえ方は割と良いと思っていましたが、役者さんの地の台詞が聞こえづらい箇所が所々ありました。ただ階上席でご覧になった方の感想を読むと音響が微妙な上に目線に手すりが被って困ったというものもありましたので、あまり贅沢は申しません。
ちなみに前日の前楽上演時間帯に会場の下見に出向いたところ、オケの音とアンサンブルのコーラスはホールの外のロビーまでかなり聞こえていました。流石にソロの歌声までは無理でしたが。

以下、本編の感想にまいります。

1幕序盤でちょっとしたトラブルが発生しました。入浴中の浴室のドアをシャガールに開けられ驚いたサラが放り出したスポンジが、転がって隣のサラの部屋のドアの脇に落ちてしまったのです。
本来の段取りではその後アルフが浴室に入ってスポンジを拾い上げ、再度入室してきたサラが無言で「返して」と手を伸ばし、アルフが返したスポンジを手にサラは自室に戻ります。アルフが美少女サラに一目惚れする重要なエピソードです。
しかし、浴室に入った平方アルフはスポンジを見つけられないらしく、暫しウロウロ。ピンチ!と思ったその瞬間、沙也加サラがドアの脇のスポンジを拾い上げて浴室に入室し、「ここにあったわよ」と言う感じで無言で平方アルフの前に立ちました。それを見た平方アルフは沙也加サラに深々とお辞儀。客席のそこかしこからくすくす笑いが漏れ、沙也加サラもお辞儀をして自室に戻り、無事に場面が収拾したのでした。

同じ1幕終盤の伯爵とアルフの対話でも、ちょっと可笑しい場面がありました。
いつものようにすっと平方アルフのおでこを指で撫でる伯爵。何だかいつもより念入りに撫でているなあ、と思ったら、伯爵が指を振り、指先からはアルフの汗のしぶきがびしゃん!と飛んでいました。伯爵様、貴方という人は……。
ちなみに前後しますが、教授が伯爵に手をプルプルさせながら名刺を渡そうとする場面では、伯爵がなかなか手を伸ばさず、一瞬教授が「あれ?」と呟いていました。結局最後は伯爵が静かに手を出して受け取っていましたが、あれ、伯爵が受け取らなかったらどうなるんでしょうね?

幕間のクコール劇場は、「蛍の光」のメロディーに乗せて黙々とクコールがモップで掃除し続け、最後に「クコール劇場大千穐楽」のプラカードを掲げる、というものでした。プラカードを裏返すと「つづけたい」と書かれていて、客席から力強く同意しておりました。

2幕序盤。2ヶ月ぶりに聴く沙也加サラと伯爵のデュエットでしたが、今回は沙也加サラの歌声はあまり平べったくは聞こえませんでした。伯爵が過剰にリードするでもなく、バランス良くハモっていたと思います。

「夜を感じろ」。1幕のサラの幻想でもそうでしたが、新上さんのダンスは指先までしなやかで良いです。ヴァンパイア・ダンサーズの場面は全体のフォーメーションを眺めるのが好きなのですが、時々新上さんをオペラグラスで追って観ていました。

教授とアルフの霊廟の場面での掛け合い漫才は、大楽ということでやや尺が増し気味になっていました。
平方アルフ、最短距離で降りられなくなった教授に「はい、どうぞ(階段です)」と片手を差し出し、怒られたら今度は両手を差し出して「ほら、ぴろりんぱ!と(乗ってください)!」と促していました。ぴろりんぱ!って何やねん(^_^;)。
しかし教授が下に降りるというシナリオはあり得ないのでついに「こうなったら仕方ない。思い残すことはないか?……ひとりでやれ!」と宣告されていました。そして伯爵を討ち損ね「できません!」「できない!」とキレるアルフを「反抗期かお前は」とぶったぎる教授。
良知アルフ以上に使えないぼんくら感の漂う平方アルフの本領がふんだんに発揮されていたと思います。

2幕のシャガールのアドリブも最後まで健在でした。
「何がぴろりんぱ!だよ!」と登場し、伯爵の棺を覗きに行き、「何かスケスケのを着て、スポンジ抱いて寝てた」と報告していました。「スケスケの」が実は息子とお揃いの黒レースだったりしたら笑います。

そう言えば平方アルフを観るのは実は帝劇初日以来でした。
ぼんくらだったアルフの頼りない顔つきが、ハードなお城探索の末にようやく見つけたサラに拒絶され、「それでも」と彼女への思いを再確認した後にきりりと凛々しさを増す一瞬の表情。なのに襲い来るヘルベルトからはただ逃げ回るしかなかった後の情けなく打ちひしがれた顔。平方アルフに愛おしさを覚えるとともに、初日から2ヶ月を経て、本当にアルフという役どころは彼の内面にも肉体にも馴染んだのだな、と感じた瞬間でした。

舞台は順調に進み、墓場から這い出したヴァンパイア達も去り、伯爵の「抑えがたき欲望」へ。
この歌、思い切り歌詞の内容を端折ってまとめますと、懺悔と居直りの繰り返しで生きていく者共の歌であり、吸血鬼だけでなく人間も同じである、と考えさせられる一曲です。しかし、どういうわけか今回の自分には、この歌が「祈り」のように聞こえました。それぐらい、伯爵の歌声が厳かで何らかの思いの込められたものであったということでしょうか。

そしてその後ド派手に登場して居直りシャウトするキラキラと麗しい伯爵を見て、軽くうるっと来ていました。自分があの時何を感じていたのかは実のところさっぱり分かりませんが、多分「ああ、私のTdVが終わってしまう」、「この美しい伯爵様が、もう明日はいないのだ」などと惜しむ思いで胸が一杯になっていたのだろうと思います。
これについては、例えば伯爵の中の人に「何考えていたんですか?」と問うたとしても、「それは、観客として受け止める貴方のお気持ち次第ですよ」とのみ返されるに決まっているので、あまり深く考えないことにします……。

エンディングは、アンチハッピーエンドなのにやはり高揚感で満たされます。実に不思議なミュージカルです。

カーテンコールでは、大千穐楽につき、駒田さんの仕切りで平方くん、沙也加ちゃん、禅さん、山口さんの4名からご挨拶がありました。
平方くんのご挨拶は、細かい内容は忘れてしまいましたが、何だか本当に大変だったけどいっぱい勉強することもあったんだね、という印象でした。
沙也加ちゃんは言葉の端々からTdVという作品への愛が伝わってくる内容でした。大変なこともあったけれど出演できて良かったし、次に出られなかったとしてもTdVという作品を好きでいたい、という気持ちが饒舌に伝わって来るご挨拶でした。
禅さんのご挨拶は、「良い初夢を見させてもらいました。ありがとうございました」という内容でした。個人的に、教授という役どころには自由度もたくさんありますが、人間の暖かさ、エゴ、無邪気さ、貪欲さ、などを色々と体現しつつぶれてはいけない役でもあるので、演じるにはかなりのエネルギーが必要だという印象を受けています。お疲れ様でした。
そして伯爵。爽やかにあっさりと挨拶された後、すっと振付教室に繋いでいました(^_^;)。
そのままヘルベルトの振付教室&全員のヴァンパイアダンスでエンディングとなりました。その後も3回位拍手&キャスト呼び出しが続いたと思います。
最後の最後に、前日一足先に千穐楽を迎えた舞羽さん、それから休演していた松島さんも肩を貸してもらってカーテンコールに参加されていました。

……ああ、これで終わりなんだ。私のTdVが終わってしまった。クコールのプラカードにもあったとおり、続けて欲しい。でも今は終わってしまった。そんなことをぼんやりと考えながらお土産を買い、新幹線で名古屋を後にしたのでした。
またいつか必ず、麗しい伯爵に再会できることを祈っております。